ふくおか子育てパーク

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第3回目  子どものために

2007年08月22日

今年の夏休み、よく遊びに来ていたAちゃんは、学童保育に行くのをやめたため、
一日中一人で過ごしています。
じっと家にいる性分ではないようで、普段は外で遊んでいますが、
今年の暑さに耐え切れず、よく我が家に転がり込んできました。
今まであまり一緒に遊んでいなかった二人ですが、意外と気があったらしく、
退屈しない夏休みになったようです。

わが子は、小さい頃から、口うるさい私に遠慮しながら
私の顔をうかがいながら成長してきたようなところがありました。
まずいよなぁ・・・と感じてはいたものの、
心配性の私はついつい監視しすぎていたようです。
かわいいわが子にもしものことがあったら・・・と思うと、心配で心配で。
結局、私の目の届く範囲で遊ばせていたので、
立派な「支持待ち人間」になってしまいました。

気をつけてはいたんですよ。
「○○しなさい」という支持ではなく、「どうしたらいいと思う?」と、
自分で考えさせるように声かけするように心がけたり、
夢中になってやっていることは、とことんやらせておいたり、
上手か下手かという評価をしないようにしたり、
命の危険があるほどのことではないなら、なるべく見て見ぬ振りをしたりetc
でも、私と一緒にいるとどうしても、私の視線を気にしている感じがあったのです。
そんなわが子を見て、また心配になったりして。
最近では、いつまでたっても心配するのが親の仕事だから。
と勝手に開き直ってます(^_^メ)

Aちゃんの話に戻りますが、周りの人は、そんなAちゃんの行動を見て、
「親はお礼も言わないの?」とか「迷惑よね」と言います。
同じように、近所の子どもが家に毎日やってくると言っていた友人は、
ついにわが子を塾に入れました。
そんな風に言う人の気持ちもわかりますし、
数年前の私なら、同じように言っていたと思うのです。
確かに、「いつもすみませんねぇ」の一言があるかないかは大きく違いますが、
子どもたちが楽しく遊んでいるんだから、それでいいじゃんと
やっと思えるようになりました。
どんな家庭に生まれようと、
その家庭でどんな育てられ方をしていようと、子どもは子ども。
みんな、幸せになる権利がある
そしてそれを見守っていく義務はすべての大人にある 
私もその一人

私たちが小さい頃は、もっと子ども同士の関係が自由だった気がします。
仲間はずれや喧嘩もあったし、
子どもなりに工夫していたことも多かったのではないでしょうか。
少なくとも、
親が手配してくれた遊び相手と、
親が選んでくれた場所で
親の監視の下に遊ぶ
そんなことは少なかったように思います。

最近の子どもたちを見ていて、コミュニケーションが下手だなって思います。
・・・自殺や、ケイタイ依存症、引きこもり、いじめ
でもそのコミュニケーション下手は、子どもだけではないかもしれませんね。
最近世間で話題の「モンスターペアレント」
学校に理不尽な要求をする「親」をそう呼ぶそうですが、
病院でも患者やその家族から同じような要求があり、暴力がらみもあるとか。
なんだか、社会全体が「主張したもの勝ち」という感じを受けます。
自分たちさえよければいい
相手の言動をすぐ攻撃的に受け取る (-_-;)
そんな大人が少し変われば、もう少し暮らしやすい世の中になると思うんだけど。

誰かに言われてとても「嫌」だったことがあったとして、
相手がどうしてそんな「嫌な」ことを口にしたのか、
ちょっと思い巡らせてみること。
子どもたちに、大人が態度で伝えていかないと(*^^)v

帰省でいつも高速道路を利用するんですけれど、
無茶な運転をしている人がいるんですよね。
そんなときに、「なんやぁあいつ!喧嘩うっとんのか!おらぁ」となるか
「おトイレ行きたいんだろうなぁ」と考えられるか。
そんな小さな違いなのだと思うのです。

(はなまめ★)

投稿者 Kosodate : 2007年08月22日 11:51

コメント

社会全体の動きにあわせて、大人や子どもたちにも変化が見られますね。私たち大人が、社会の形成者としての自覚を持ち、行動していけば、その影響が子どもたちにも少しずつ与えられると思います。

投稿者 のんちゃん : 2007年08月30日 21:32



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