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第2話 ホゲ娘

2008年08月06日

ホゲ娘 私の子ども時代を話す時に、欠かせないキャラクターがあります。それが、写真の「ホゲ娘」です。
 これは、いつからか私の家にあった約2cmほどの消しゴム人形で、私と兄が名前を付けました。本来何のキャラクターだったのか、今もって不明です…。

 私は東京で生まれ、7歳ごろに大分県の荻町(現在の竹田市)に引っ越し、10年近くをそこで過ごしました。東京とは比べ物にならないほどの田舎で、隣の家に回覧板を回すために、順番によってはひとつ谷を降りる必要があったくらいです。
 そんな環境なので、自然のなかで遊ぶのは、あえて意識しないくらい当たり前のことでした。
 その一方、当時の遊びのなかでもっとも印象に残っているのは、こんな消しゴム人形を使った遊びです。

 もともとはいわゆる人形遊びのように、消しゴム人形を手に持って、兄と、消しゴム人形同士を会話させて遊んでいるだけでした。そんな遊びを繰り返すなかで、たまたま「ホーホッホッホゲッヘッヘッヘ…」という笑い方をさせたことをきっかけに、このホゲ娘というキャラクターが誕生しました。
 ホゲ娘はとにかくアホだという設定になりました。そして、他の人形たちも「ホゲ」と口走ると「ホゲ病」になり、彼女のアホが伝染してしまうことになり、この遊びは大きく盛り上がっていきました。

 そしてある時、「ほげの謎」というホゲ娘の解説本を作ることになりました。本を作ること自体好きだったので、彼女がいかなる人物なのか、骨格や脳みその構造まで詳しく図説した本を、兄と一緒に作りました。その本は家族にも読まれ、自分自身のこのキャラクターに対する愛着がますます強くなり、さらに遊びが展開するきっかけになりました。
 人形遊び自体も発展して、当時流行っていたキン肉マンやガンダムなどの様々な消しゴム人形を住民として、自分の部屋に彼らのまちを作るようになりました。そこは兄が何故だか「コカ国」と名付けました。ホゲ娘の住むコカ国では、お菓子の空き箱などを使って家を作ったり、紙幣をワープロで作って大量に印刷したりしました。そして、いろいろな商売も始めました。会社ができたり、アイドルグループができたりしました。一番上の兄が時々混ざってきて、宝くじの商売を始めて大もうけすることもありました。さらには、ときどき総選挙があって、「ホゲ党」を始め、様々な政党が生まれて選挙をすることもありました。
 自分の部屋は散らかり放題だったので、ホゲ娘が「行方不明」になることもよくありました。そういう時は、「片付け大会」という国の一大イベントとなり、それ自体が遊びの一部になりました。
 またある時は、ホゲ娘を主人公に、当時好きだったドラマのパロディー映画を兄弟総出で撮影しました。コマ撮り機能を使い、ミニカーを走らせ、土や石でセットを作って爆竹で演出したりしました。BGMやスタッフロールも、当時のパソコンでプログラミングして制作しました。
 またある時は、ホゲ娘に関するマンガを描きました。私はお話を作るのが好きで、当時はたくさんのマンガを描いていましたが、そのうちのひとつが、ホゲ娘を解説したマンガでした。

 こういう遊びは室内の遊びだと思われるかもしれませんが、映画撮影は庭で行なわれましたし、外で遊ぶこともよくありました。
 大きな穴を掘って、ホゲ娘たちを何ヶ月もの間土の中に埋めておいたり、冬はたらいの水の中に一晩浸けて、翌日氷から掘り出して遊ぶこともありました。
 お風呂で遊ぶこともありましたが、お風呂も家のなかではなく、外の独立した小屋の中にある、薪で沸かすタイプのいわゆる五右衛門風呂でした。そこは「おふろ国」と呼んで遊んでいました。そのまんまですね…。
 ともかく、室内遊びと外遊びの区別はほとんどありませんでした。

 その他、ホゲ娘にまつわる遊びを数え上げるときりがありません。多くの人たちが学校に行っている間、私はそんなことをして楽しんでいたのです。
 もちろんホゲ以外にも色々なことをして遊びましたが、ホゲ娘は当時の遊びを象徴するキャラクターでした。ホゲ娘は大分で生活する間、常に私の生活の中心にいたように思います。ホゲ娘がいなければ、今の私はないと言っても過言ではありません。
 こんな小さな消しゴム人形から、これだけの遊びが生まれるとは誰にも予測できません。何でもないようなことでも、自分が面白いと思うことをとことん突き詰めると、あらゆる方向に広がります。

 次回は、ホゲ娘が生まれるような生活とはどのようなものだったのか、もう少し生活全体のことを書きたいと思います!

(野島智司)

投稿者 Kosodate : 2008年08月06日 16:45

コメント

ホゲ娘ワールドに引き込まれました。子どもの空想や創造の中に、人間社会の縮図を見たような気がしました。コウモリさんにとっての「あそび」は、生きていくことを教えてくれる、一番の師匠だったのかも知れませんね〜。

投稿者 あい○ : 2008年08月13日 09:28



ありがとうございます。
「ホゲ娘ワールド」が人間社会の縮図のように見えるのは、身の回りのあらゆる物事が、遊びの素材になったからだと思います。遊びなので、おかしなこともいっぱいありますが^^;
ホゲ娘は本当に、たくさんのことを私に教えてくれたのかもしれません。

投稿者 野島智司 : 2008年08月14日 10:10



最終コラムを読ませていただいて、無性に「ホゲ娘」を再読したくなって、ついに今さらながらコメントさせていただいております。

ホゲ娘ワールド、あまりにも面白くて、おかしくて…!!!
想像もつかないほど創造性豊かで、その遊びの発展ぶりには完全に脱帽です。

ホゲ娘誕生のいきさつに始まり、お兄さんとのやりとり、解説本、行方不明、屋外での映画撮影、土や氷付けになったホゲ娘……。
想像を巡らせてみると、すごい世界が息づいていますよね。

ホゲ娘ワールドが“コウモリさんの今”のベースになっておられるということが、説得力をもってとても楽しく伝わってきます。
そして随分と唸らされもしました。
同時に、遊びの極意が凝縮されているようでワクワクしながら読み進めては、(失礼ながら)あまりの面白さに何度も吹き出しておりました。

遅ればせながら、実に実に興味深いお話、ありがとうございました!

投稿者 アマゴっち : 2008年09月01日 22:58



たくさんのコメント、ありがとうございます!!
ホゲ娘のエピソードは、まだまだここには書ききれないほどたくさんあります。
こうして感想を返して頂けると、今もホゲ娘が息づいているようで、不思議な気持ちになります。
こちらこそ、ありがとうございました。

投稿者 野島智司 : 2008年09月04日 00:32



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