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第5話 「三男の話 ―見守り―」

2006年09月26日

ママヨです。
すみません、もうちょっと続きますけど、
三男と私の自主保育の話です。

さぁさぁ、やってきました、大波小波!!
寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!
超長男も覚悟しなされよー!
<この期に及んでまだ何かあるんでしょうか・・・(涙)>

 「みんな、なかよく!」
 「おともだちと、いっしょに!」
 「ありがとうは?」
 「ごめんなさいは?」
 「たたいちゃだめでしょ!」
 「かんじゃだめでしょ!」

こんな感じだったと思います、自主保育に入るまでの私のセリフ。
ところがところが・・・・

一体全体、どういう人たちじゃ〜〜〜!?!?!?Part2

ここのお母さん達、なんにも言わないんですぅ。
ウチの子が、ボカンとなぐられても・・・
吹っ飛んでても・・・馬乗りされてても・・・
じーっと見ているか、見てないふりみたいな感じなんです。

それだけじゃないんです、
ウチの子をなぐったその子、
私の顔を見あげてひと言、「泣かんねぇ」
はぁっ?とパチクリさせている私の目の前で、
もう一発!!
三男がようやく泣いたのを見て、
満足そうに行ってしまったのです・・・
なんなの、あの子!?信じられな〜い!!
親はなんで、何も言わないの〜っ!?

 悶々悶々悶々悶々・・・・・・・・・

納得できないでいる私に、
仲間の口から「見守り」という言葉が出ました。
はぁ〜っ!?「見守り」だぁ〜!?
見守りっつーのは、子どもたちが仲良く平和に遊んでるときに、
それを邪魔しないように、そーっと見てることが見守りなんじゃないの!?
やっていいことと悪いことがあるでしょーが!!
明らかに反応を見ながら、面白がってやってることには、
大人が注意する必要あるんじゃないのっ!?

しかし、ウチの子だけじゃありません。
いわゆる「新入り」は、次々にやられていくのです。
そ・そ・そういうことかい、新入りには歓迎の「洗礼」をってワケかい!?
<簡単に「洗礼」というコトバをつかっちゃいけませぬ!>

何だか、時代錯誤のように感じました。
今どき、そんな子ども集団がどこにあるのか!って。

お陰で三男は、私にくっついて離れなくなり、
いっつも私は、三男を小脇に抱え、子ども達の様子を見ていました。
三男のことよりも、他の子ども達を見つめる日々が続きました。
心の奥で、やめようか、どうしようか、やめようか、どうしようか・・・と
悩み続けながら。

・・・なんだけど・・・

ダメだ・・・やめられない・・・
今やめちゃったら、後悔しそうな気がする・・・
中途半端で終わりたくない・・・
私がまだ分かってない“なにか”が、ありそうな気がしてしまう・・・

こうして、心の中の「悶々」を抱えたまま、
三男と私の月日は流れ・・・
三男は2歳のお誕生日を迎えました〜、パチパチパチ!!
<私は出張してました〜、パチパチパチ!!!
 ↑ママヨの頭から聞こえてきていた音>

と喜んでいる間もなく、三男はみるみる頭角を現し始め・・・
ついに、「やられる側」から「やる側」に転向!!
何!?聞いてないぞー!!

 「あっちいけぇー!」
 「なんだよぉー!」
 「たたくぞぉー!」

ろくに回らない舌で、まるで酔っぱらったおじさんみたいに、
周りの子に言いがかりをつけては、どついて回っている我が三男・・・
<酔ってもわたしゃそんなことしません・・・>

「はぁーーーー、やっぱり間違いだったのだろうか・・・・」

しかし、そんな三男も、ナントナント☆
自分より年上の子どもたちには、手を出しません!
滅相もございません、へへへ、という感じ。
<長いものには巻かれろ・・・大事な処世術です・・・はい・・・>

明らかに、子どもたちの中には「順位」「序列」が存在するのです。
まるで高崎山のサル集団のように。
今どき、あるでしょうか、そんなことが認められる子ども社会が!?

しかし、一目置かれる存在となった年長の子どもたち、
個性に富んだやり方で、年下の子どもたちをリードし始めたのです!
一番年上の女の子は、ウチの三男をとても可愛がるので、
No.2の男の子は、三男に手出ししなくなりました。
・・・スゴイ・・・
<子どもに「仁義」っつーもんを教えられたような・・・>

大人が「ああせい、こうせい」言わなくても、
子ども社会は子ども同士で形成されていく・・・
新入りもいつしかメンバーとして認められていくのです。
そしてその仲間の中で、子どもたちそれぞれの自分探しがある。

 ある子は、今まで周囲の子を自在に動かしていたのに、
 ある時から反撃を食らうようになり、
 「どうして・・・」と落ち込んで母に問いかける。
 「どうしてだろうねぇ」とだけ、返す母。
 考えに考えた末、その子は自分の態度を変えた・・・

 ある子は、周りの子からやられっぱなし。
 「行きたくない」と泣いて母に訴えるが、
 「お母さんは行きたい」と、
 母につき合うかのように連れてこられる。
 ある時、だれも登れない木に登れることがわかり、
 来る日も来る日も木に登り・・・
 笑顔になった

雑木林の中で芽生えた木の芽が、
雨風や暑さ寒さにさらされながら、
周囲の枝々の間を縫って伸びていくように、
子どもたちもお互いを試しながら、
自己主張しながら、長い時間をかけながら、
あっちへこっちへと枝を張り成長していくんだ・・・ってこと?
<根っこの拡がりともいえる!?>

キレイゴト並べてても、ホントに生きる力は育たない。
子どもだって、仲間の中で揉まれて揉まれて、
泣いて泣いて、怒って怒って、悩んで悩んで・・・
でも、自分を大きくする力を、ちゃんと持ってるんだ・・・ってこと?

実は母たち、みーんな、そんな子どもたちを見つめながら、
自分に挑戦しているのです。
どこまで見守れるだろうか、どこまで・・・・と。

 子の育つ力がそだつトコロ
 親の育てる力がそだつトコロ

そんなコピーを思いついてしまったママヨでありました。
<某国の新首相予定者!この言葉にしっかり耳を傾けなさい!!>
                              (つづく)

【なすがママヨ】+<超長男>

投稿者 Kosodate : 2006年09月26日 08:58

コメント

いつも一番乗りになってしまってスミマセン。
でも、週に一度の「チャングム」がムズムズ待ち遠しいように、第5話がいつ出るか、いつ出るかと、毎日首をキリンにして待っておりましたのもので…。遠慮なく…!
正直、話の展開に「そう来たか!!!」とグイグイ惹き込まれながら読んでいるうちに、いつの間にかジンワリ・・・と感動の涙が頬をつたっておりました。す・ご・い・・・!
ママさんたちが、我が子を“ま・さ・に”「見守り」ながら、同時に自分自身に挑戦している・・・という言葉は、強烈パンチ★でした。
これぞ「母の愛」と呼ばれる姿なのではなかろーか?と。
「子どものケンカに大人が介入すると、かなりヘンテコリンな解決が下され、子どもたちの間で本質的に問われていたものは、無理解に封じ込まれてしまう(ことがほとんどダ)」と、頭の中では寛容な(?)私でしたが、生の報告を読ませていただいて、ハッとさせられることしきりでした。
ありがとうございます!!!
ママヨさん、9月は(今日を入れて)まだ5日も残っております!ぜひぜひ次々とエピソードを報告して下さい!
「チャングム」待つより待てませ〜ん★


投稿者 <超>おばばか : 2006年09月26日 10:32



<超>おばばかさん、いつもいただくコメントに、恐縮しております。
本当に子どもの世界も大変ですが、それを見守る親の方はもっと大変なんです。幼稚園や保育園に行っていれば目にしなくてもすんでいたかもしれない光景を、目の当たりにしなくてはならないのですから。
でも、そんな我が子の姿を直視することで、家庭にいる時のような守られた場所以外での、子どもの心の動きを読み取ることができるようになっていく。だからといって、答えを先取りするのではない。子ども自身が見つけ出すのを、じっと待つ。忍の一字でございます。自分の子どもに対してだけではありません。みんなが子ども一人一人を同じように見守っているのです。
「うちの子だけ」じゃないんです。
子どもたちは、親たちのまなざしの中で、ときには仲間の親に甘えたり問うたりもしてみながら、グループの中で自分の居場所を模索しています。子ども同士にも、いきさつや理由があるようで、それを「やった」「やられた」だけで判断することはできないんですよね。
多分、賛否両論あると思います。色んなお考えをお聞きできたらいいなあと思います。

投稿者 ママヨ : 2006年09月26日 17:28



すごいっすね〜なんか色々思い出しました。
我が家の長男なんですが、のんびり坊主ですが、身体が大きい方で力もかなり強くて。たとえば、女の子数人とオモチャのひっぱり合いしても片手でひょいとひっぱって相手が「あわわわわ〜」って倒れ込むような感じでした。
そんな長男を見て当時私たち夫婦は「これはしっかり教えとかないと誰かに怪我やらさせたら大変!!」と勝手に心配して。
「おともだちとは仲良くね!」
「やられてもやりかえしたらだめよ!」
「小さい子には手をだしたらいかんよ」
そんな調子で呪文のように言っておりました。長男はてのつけられない暴れん坊ではなくむしろ平和主義のほんわかした子どもだったのです。それを私たちが勝手に先回りしていただけでした。
そのせいか長男は争いごとを好まない子どもに成長していきました。
はた・・と気がつくと長男は子どもたちのターゲットになっていました。「やられてもやりかえさない・・文句を言わない・・そしてボキャブラリーが少ない」長男が常にピラミットの最下層にいるような感覚が見ている私に自責の念を起こさせました。自宅からしばらく出れない時もありました。誘われても何か理由をつけて断りました。
全く身勝手な親でした。子どもを押さえつける事とルールを教える事をはき違えていたのです。
親子で沢山話しました。友人にも沢山支えてもらいました。時間は取り戻せないですが、少しでもこの経験から親子で学び取ることが出来れば・・と考えています。
「親は木の上に立って見る・・と書くんですよ」と言われすごく感動した感覚を思い起こしました。素敵なお話を聞けて本当によかったです。次回も楽しみにしてます〜


投稿者 さるまま : 2006年09月30日 00:35



さるままさん、ありがとうございます。
実は、私も長男のことについては、思い返して苦しくなることが多くて・・・。いまだに、下の二人に比べたら、長男のことは何倍も心配で、ついつい口出ししたくなってしまいます。私の場合、特に家にいるときがダメなんです。長男に対する私の言動が、パターン化してしまっていて。
でも家以外など普段とは違ったシチュエーションで、家での長男とは違った顔を見ると、むしろ安心することがあります。うちの長男はおっとりタイプで、機転が利く方ではないのですが、そんな長男のおっとりが、どんなことにも動じず、落ち着いて行動しているように見えるのです。実際、そうなんだと思います。

人様に迷惑をかける子になってほしくない、と願うのは、自然な親心だと思います。なんですけど、周囲を気にするあまり、一番大切な我が子の気持ちを無視して、相手を立ててしまうことって、ありますよね。
そんな時、子どもは寂しい思いをしているんじゃないかと思うんです。生まれたばかりの“エイリアン次男”を調査していただけなのに、「悪いことをしている」と決めつけて、長男を叱りとばしていた私も同じです。大人の建前を、あまり早くから子どもに押しつけないでほしいな・・・と、自分の反省を込めて、小さいお子さんをお持ちのお母さんにお願いしたい気持ちです。

やっぱり、私も親子で話しました。長男が私に物を投げつけて自分の気持ちをぶちまけてきたこともありました。涙ながらに、「ぼくが3歳の時、パパとママはぼくばっかり怒ってた・・・」と言っていました。ちゃんと覚えているんですよね。でも、でも、長男は、私の“非道な子育て”だったにも拘わらず、今、優しい目で笑ってくれるようになりました。たくさん話して、私も長男の目をまっすぐ見れるようになってから、長男はすーっと変わったんです。
子どもはいくつになっても、親が自分を見ていてくれる、たとえ黙っていても、ちゃんと見ていてくれるってことが分かったら、自分を大切に、そして親を大切にできるようになるのではないかと思います。親って、ホント、子どもに救われることの方が多いですよね。


投稿者 ママヨ : 2006年09月30日 02:59



こんにちは!(再登場、お許し下さい…)
さるままさんのコメントを読ませていただき、長男さんの姿を(お母さんのお立場なのに)すごく客観的に分析的に振りかえっておられて、感動しました。そしてママヨさんのコメントにも…。
お二人のコメントを、「お母さんの立場からは、最も心の痛む振り返りかもしれないのになぁ…」と想像しながら読ませていただきました。そして同時に、「きっと、そうやってお母さんならではの、心から精一杯の反省(?)って、自然な表情や言葉の選び方や雰囲気(ママのオーラ!)に現われて、敏感で純粋なお子さまたちには必ず何かが伝わっているんだろうなぁ・・・!!!」と心揺さぶられるような思いにもなりました。

自分自身の子ども時代を振り返ってみても、なんだか心当たりがありますもん。両親の“頭の中”を気にしながら生きている時間と、両親の“心の中”を感じながら生きている時間とには、自分の心の安定・安堵・安心・・・が全然違ったナ・・・と。バクゼンとしていてすみません★

ママヨさんのメッセージ、そしてさるままさんのコメントのお陰さまで、自分の幼い頃を振り返る機会をいただきました。ありがとうございました!

投稿者 <超>おばばか : 2006年09月30日 14:22



<超>おばばかさん
そんな風に、我が子育てを振り返る母たちの気持ちを理解していただけるなんて、本当にありがたく思います。
<超>おばばかさんは、親の気持ちも子どもの気持ちもわかってくださる方なんですね。
でも確かに、今は親となった私たちも、かつては子どもだったんですよね。親になると、どうして自分が子どもだったころの気持ちを忘れてしまうのかな・・・。
親の「頭の中」を気にして生きていた時間と、親の「心の中」を感じて生きていた時間の違い・・・。すごくよくわかります。なるほど、そういうことなんですよね・・・。
こんなに子どもの気持ちを代弁できる方が身近にいてくださったら、子育ても随分違ったものになるのでは?と思います。<超>おばばかさんのご兄弟とそのお子さまたちは、幸せですね!!
いつも応援していただき、本当にありがとうございます。いよいよ最終回を迎えました。最後まで、どうぞよろしくお願いいたします。

投稿者 ママヨ : 2006年09月30日 20:51



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