ふくおか子育てパーク

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■20代の女性から説教を受け、10年前の記憶を思い出すの巻■

2006年11月24日

カエル.jpg

 昨年暮、子連れで九州国立博物館にでかけた。竣工まもない博物館を見ようと、博物館に向かう大宰府の道は、大変な人出である。途中で昼食どきになったので、席が空いている店を探して、一軒の茶店にはいった。ベビーカーと荷物を手にして、むずかる子供は嫁さんが抱っこして、子供がいなかった時代に比べると移動力は十分の一程度にまで低下している。 

 やれやれ、やっと座れた。博物館も大変な混雑のようだし、乳児を連れてこんな混雑の中、やってきたこと自体が、大変だったのだ。

 注文して、昼食を待っている間、当時一歳の長男は、食卓のお盆に積み上げられていた湯のみ茶碗をみて、大はしゃぎしながら、手にして遊んでいた。われわれ夫婦は、消極的に注意するものの、基本的に微笑みながら眺めていた。

 そのときである。隣に座っていた2人組の女性の一人から、きっぱりと注意されたのである。

 「あなたの、子どもが、湯飲みで、遊んでいるのを、やめさせて、ください」

 僕は彼女のほうに顔を向けた。20代前半の大学生のようでもある。 

 「さっきから見ていましたが、大勢のお客さんが使うかもしれない湯飲みを、お子さんが遊び道具にしているのに、とめようともしていませんでした」

 畳敷きの店内に、お客さんがぎっしり。長い順番待ちのすえにやっとありついた食卓の前で、推定20歳以上年下の彼女から、説教されてしまうなんて、なんて運命なんだろう。とほほほほほ。そのとうりなので、反論もできない。とっても恥ずかしい。

 「私が、もし、その湯飲みを使うことになったとしたら、私はイヤです」

 「す、すみません。申し訳ないです」

 とほほほ。50歳にして、世が世ならば、娘だったかもしれない20代の彼女から、注意を受けてしまうなんて、なんという不明。

 親ばかが過ぎて、そんなことも分からなくなっていたのであろうか。自宅では、わが子の手が、汚れていようがいまいが、その手で食器を触っても、問題にはならない。しかし、ここは自宅ではない。社会生活の中だったのだ。

 自宅で許される甘やかし行為は、「社会」の枠組みでは、許されないことだったのだ。無念なり。子どもさえ連れていれば、すべては免罪と思い込んでいたのではないのか。我が意識があまりにも情けない。無念なり。

 そういう動揺を見透かすように、女子大生は言葉を続けた。

 「私は、あなたの、お子さんの手が、汚いと、言っているわけでは、ないのです。とにかく、やめさせてください。私は不愉快です」

 「はあ。申し訳ありません」

 ひたすら頭を下げた。子どもの行為についての責任を、親が負うという現実をつきつけられたのだ。

 頭を下げている時間が、とてつもなく長く感じられ、その後に、食卓に出てきた昼食を、夫婦そろって、いたたまれない気持ちで、無言で食べた。はしゃぐ長男を挟んで、注意されたわれわれは、がっくりと盛り下がってしまった。

 帰宅してから母親に、顛末を話し「あーぁ。20歳以上年下の人から、注意されてしまった」と報告すると「ばかやねえ」と言われ、職場で上司にも話すと「恥ずかしいやろうが、あんたが悪い」と断言された。

 それにしても、きっぱりした説教だったなあ。完膚なきまでに打倒されてしまった。年少の割りに天晴れではないか。まてよ、あの言葉。どこかで聞いた記憶がある。そうだ。10年前、福岡市で開かれた九州交響楽団による伊福部明氏が作曲した映画音楽を楽しむ「ゴジラコンサート」でのことだ。説教されたことで、10年前のほとんど忘れていた記憶を思い出した。


 演奏が始まり数曲が過ぎたとき、私は、前列の親子連れに、説教したんだった。音楽が始まると、父親に連れられていた2人の子どものうち一人が、大騒ぎして大声を出すは、大笑いするわで、音楽を楽しむ気持ちが破砕された。

 周囲の聴衆も、不快に思っているが、誰も注意しない。子供は無料入場だ。有料の入場券で来ている客の代表として、ここは私が言わねば!でも、「他のミナサンが不快におもっているでしょう」という注意の仕方は卑劣なので、父親に私は、このように伝えた。

 「あなたのお子さんは、音楽を楽しむには、まだ難しい年齢と思います。笑うような場面でないのに大声で笑われたり、大騒ぎされるので、私は音楽を楽しむことができません」

 父親は、私に頭を下げて、子どもを連れて退席していった。

 そうだ。そんなことがあった。ゴジラコンサートで発言した、おのれ自身が父親に対して為した説教。「私は不愉快です」その決然とした意思表明こそ、当時の自分自身が心がけていた態度だったのだ。

 それから10年、あのときの父親と同じように、身に説教を受ける立場になっていようとは。すっかり忘れていた記憶を、思い出し、あのときの父親の表情がどうだったかを、一生懸命思い出そうとしていた。思い出してどうなるわけでもないだろうに。

(おっとん16)

投稿者 Kosodate : 2006年11月24日 10:09

コメント

私は読んでいて 逆に その若い彼女の言動に対して 不愉快な気持ちになりました。貴方のお子さんが どういう遊び方をしていたかの程度は 文面からわかりませんが、気の強い 子供のいない若い独身女性が 相手の立場も考えず 思ったことをそのまま言って すっきりしたんだな〜という感じがします。その昔 私もその部類でしたので・・・もちろん子供がいると何でも許される範囲が広まるとか 貴方が正しいとか言いませんが 相手の立場や言い方ひとつ 又言うタイミングを もう少し考えての発言なら また違っていたでしょうね。なぜなら 今この文章を読んで 貴方が私に伝えたことは 子供への注意より 自分が恥ずかしい思いをした の方が強く感じられましたので・・・私もですが その彼女も自分が子を持つ立場になって 思い出すものが あるでしょうね(貴方のように・・・)

投稿者 kiyomi , c : 2006年11月24日 16:10



kiyomiさん>そうですね。10年前ゴジラコンサートの時には、父親が、どのような経緯で2人の子どもを連れてきたのか、なぜ、家族3人で、そこに座っていたのか。想像することはできませんでした。今ならどうだろう。どのように自分の気持ちを伝えるだろうか。。伝え方は、10年前と今とでは、少し違うかもしれないな。そう思うこともあります。

投稿者 おっとん16 : 2006年11月27日 19:51



私もきよみさんと同じ感想を持ちました。細かい状況はわかりませんけれども、ものごとは両面があるんでしょうねえ。「子を持って知る親の恩」ではないですが、子を持って知ることはたくさんありますね。先が長いですが、後悔のないように、硬軟取り混ぜて頑張ってください。

投稿者 霜月 : 2006年11月28日 15:25



霜月さま>「子を持って知る親の恩」。これは実感してますね。いったいどうやって、育ててきたのか。謎がひとつづつ解けてゆく気がします。

投稿者 おっとん16 : 2006年11月30日 18:59



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