杉浦 しのぶ 先生

4.親の笑顔が子どもを救う

令和6年3月15日​​​​​

 「子どもが学校に行けなくなって苦しんでいるのに、自分が楽しむことなんかできません!」そういうお母さんがこれまでもたくさんいました。しかし、親が幸せになることは決して身勝手なことではなく、むしろ子どもの為になるのです。
 不登校だった子どもたちが成人してから話を聴くと、一番つらかったのは、学校に行けなかったことではなく、親が自分のことを思って落ち込み苦しんでいる姿を見ることだったと言います。親のことを一番気にしているということです。

 子どもが不登校になると「子どもだけおいて出かけるなんてできない。」と言われる方もいらっしゃいます。しかし何かやることを見つけて家を空けてほしいのです。サークルに入るなどして趣味を楽しんでもいいし、買い物に出かけるのもよし、親が楽しいなぁと思う時間を作ってほしいです。そして家に戻ったら、子どもに対して、「ありがとう!あなたが家にいてくれるおかげで安心して楽しめたよ!」と笑顔を見せてあげてください。

学校に行かず家にいることに罪悪感をもっているのは、親ではなく、子どもなのですから。

 「聴す」と書いて、「ゆるす」と読むそうです。私も最近知ったのですが、「聴」という漢字は、「あるがままその人の存在を認め、受け入れる」という意味を持っているそうです。この話を聴いたときに私は、不登校の子を持つ親にとって必要な言葉だと感じました。その子のそのままを認め、受け入れることで、初めの一歩を踏み出すことができるのだと思います。

 しかしながら頭でわかっているはずなのに、本当にこれで良いのか?と不安になることが多いと思います。そんな時には親の会のような、不安な気持ちや心配なことを話せる場所を見つけてください。また、フリースクール等、子どもが活動できる場所の情報を集めることも、一歩を踏み出せる勇気にも繋がることでしょう。

 それでもなお、不安な気持ちになることがありましたら、えがおの会の「Omimi(おみみ)かふぇ」においでください。これからも課題を抱えた保護者の伴走者として寄り添っていきたいと思います。

 最後までお読みいただきありがとうございました。
 

3.子どもの声を聴いていますか?

令和6年2月19日

 子どもから「クラスに苦手な子がいる」と言われたとしたら、あたなはどうしますか?
 「そんなこと言わないで、その子のいいところを見つけて仲良くしなさい」
 それとも、「そんな子のことは気にしないで、他の子と遊びなさい」ですか?
 これはすべて、お母さんの捉え方、考えですね。これでは子どもの思いを否定してしまうことになります。子どもは答えがほしいのではなく、「嫌だな」という思いを受け止めてほしいのです。
 子どもの思いを知りたくて、問いただすということでもなく、「そうなんだぁ、苦手なんだね。」と、子どもの視点で話すとことで、不安を受け止めてくれたと感じた子どもは、心の中に潜んでいる本当の思いを吐き出してくれることがあります。

 「子どもに聴いても「わからない」と言うので、私が道筋を示しているのですが、よくないのですか?」と言われることが多いのですが、それは、自分の価値観を押し付けることになっていませんか?子どもは自分の思いを否定されると本当のことを声に出すことができなくなってしまいます。時には親として、受け入れられないことであっても、その子の思いを一旦受け止めて、それからその後を話し合うことが子どもとの大切なコミュニケーションになります。

 自分の子どもであっても「違う人格なのだ」と認めることがとても大切です。

 「きく」という漢字には「聞く」と「聴く」二つありますね。
辞書で調べてみるとわかるのですが、「聞く」というのは、「音や声を耳で感じとる」ということです。「聴く」というのは、「心を集中させてしっかりと耳に入れる」ことです。
 子どもにとって大事なことを伝えているのに、忙しさにかまけて、耳だけで子どもの声を感じ取っていることはありませんか?

 よく、保護者の方から、「見守ることが大切といいますが、学校に行かず怠けているだけで、甘えているんじゃないか」と質問をされることがあります。
 私は、怠けているわけではなく、甘えているのだと思います。甘えは悪いことではありません。自分が感じている辛いことに気づいてほしくて、親に助けてほしいという愛情を求める甘えだと思います。ここにいていいんだという安心感を与えてあげてください。家族の中で安心して過ごせるようになったら、外の世界へ出る勇気も出てくると思います。家族はその子にとって最高の応援団なのですから。

 次回は、親の笑顔が子どもの心を救うことに繋がるお話をしたいと思います。

2.自分の捉え方のくせを知る!

令和6年1月22日

 「アンコンシャス・バイアス」という言葉を知っていますか?
 私が講演の依頼を受けるときは、このことについてお話をすることが多いです。それは私のアンコンシャス・バイアスが周りの人を、特に子どもを苦しめていたからです。

 「アンコンシャス・バイアス=無意識の偏見」。さまざまな環境や集団に囲まれて生活するうちに、知らず知らずの間に刷り込まれる「価値観の偏り、捉え方のくせ」をいいます。
 たとえば、「~するべき」、「きっとそうに決まっている」等、それは相手に対して向かうこともあるのですが、自分に対してもそれを向けて追い込んでしまい苦しむことにもなります。不登校の子どもはそれが一番強く出ていると感じています。
 「アンコンシャス・バイアス」を持つことが悪いのではなく、「自分はそういう捉え方(考え方)をする人間なのだ」と、気づくかどうかが大切です。それは無意識に相手を傷付けていることがあるからです。

 しかし、気をつけないといけないのは、「ああ、またやってしまった」と、後から振り返り落ち込むことです。やってしまったことに気づいたことが〇なのです。気づいたなら後から謝れば良い。「ごめんね」と伝えることも大切なコミュニケーションです。今までは気づかず傷付けていたままだったのですから。できなかったことに焦点を当てるのではなく、できたことをほめてあげましょう。

 アンコンシャス・バイアスに気づけた自分をほめてあげましょう!

 私は、愛情という名で子どもを支配し、言うことをきかないと感情的になり、自分の価値観を押し付ける母親だったのです。良い子だと思っていた子どもは、親の都合のいい子だったのです。子どもが不登校になり、自分の言動を振り返ることができ、そこに気づいたからこそ、今の私があるのだと思います。

 次回は、アンコンシャス・バイアスを外した聴き方について考えていきたいと思います。

1.不登校は不幸じゃない!

令和5年12月19日

 子どもに「学校に行きたくない」といわれたら?あなたはどう反応しますか?
 私の子どもは、ある日突然学校に行かなくなってしまいました。
 その時の私は、子どもが理由を語らないことをいいことに、自分が考え付く子どもが「学校に行きたくない」と思う理由を全て取り払うことだけに注力していました。
 自分が正しい判断をしていると思っていましたし、親だから子どものことは一番よくわかっているつもりでもいました。
 その結果どうだったかというと…もちろん、子どもは学校には行きません。
 学校に行かないどころか、精神的に追い込んでしまい、部屋から一歩も出なくなったのです。「なぜ?どうして?何が間違っていたの?」と、悩み苦しみの日々が始まったのでした。階段を三段跳びする勢いで子育てをしていた私ですが、一気に階下に突き落とされたように感じましたし、そのぐらいのショックもありました。
 現在私は、不登校の子を持つ親の居場所「Omimi(おみみ)かふぇ」を開いていますが、ここにやってくるお母さんたちも、初めは同じような話から始まります。

 私が、さなぎのように動かなくなってしまった子どもに対して、いつかは蝶のように飛び回る日が来ると信じて待つことができるようになったのは、子どもを変えるのではなく、自分が変わろうと思ったからでした。そして今では、子どもが不登校になったおかげで、今の親子関係が築けたとも思っています。

不登校は決して不幸ではありません!

 この時期に、自分の在り方を振り返り、変化を楽しむことができれば、こんなチャンスはありません。親が変われば子どもが変わるといいますが、子どもが変わったのではなく、親自身が自分の捉え方のクセを知り、変わることができたからこそ、子どもが変わって見えるのです。矢印を子どもではなく、自分に向けてみませんか?
 しかしこれは、親が悪いから子どもが不登校になったという話では決してありません。子どもの周りにいる全ての大人の捉え方ひとつで、学校に行けなくて苦しんでいる子どもを救うことができるのです。

 次回は、自分の中の決めつけが子どもを追い込み、苦しめていたことに気づいたことをお伝えしていきたいと思います。