安永 智美 先生

第4回 子どもの居場所とは

平成27年6月17日

私がこれまでに出会った多くの子ども達には、ある一つの共通点があります。

それは、「居場所がない」ということです。

「家にいてもたまらなく寂しい」と、家出を繰り返す中学生が親に発した一言は、「ここには自分の居場所がない」でした。この言葉に対する父親の返答は「何を言っているんだ。お前には一番いい部屋を与えている。何不自由ない暮らしをさせているじゃないか」というものでした。

では、子ども達が求めている居場所とは何なのでしょうか。

問題行動を繰り返していた少女が「これ、サポートセンターのことだよ」と言って書いてくれた詩があります。

【ひみつの木】
誰もがみんな自分だけのひみつの木を持っていて、
その木がみんなの力になってくれる。
悲しい時はひみつの木でたくさん泣いて、
うれしい時はひみつの木で笑う。
疲れた時はひみつの木でゆっくり眠る。
そして、沢山×2 生きるために必要なパワーをもらうんだ♪

子ども達は何も特別なものを求めているのではありません。悲しい時は泣いてもいい、うれしい時はみんなが喜んでくれる。そして、生きる力を与えてくれる場所。子どもの居場所とは「自尊感情が生まれる」場所なのです。

そして、本来子どもの居場所は家庭です。

生まれてきてくれた愛しいわが子、地域の宝である大切な子ども達が、非行(不幸)少年とならないために家庭、学校、地域が子どもの居場所であって欲しいと願ってやみません。

第3回 ~非行から守る「大切なお守り」とは~

平成27年5月13日

 大切なわが子を被害者にも加害者にもしないための「お守り」について考えた出会い(事例)があります。

 ある小学5年生の男の子は、同じクラスの友達全員にゲーム感覚で万引きが広がり、最後の一人になった時、友達から「早くやれよ。弱虫」と毎日責められるので、とうとう一度だけ消しゴムを盗ろうと店に行き、消しゴムに手を伸ばしたそうです。その時、お母さんの顔が浮かびました。お母さんの顔は、怒った怖い顔ではなく、今にも泣きそうな悲しい顔でした。
   「だめだ。お母さんが泣いてしまう。僕は絶対にやらない。」
と、踏みとどまりました。

 超えてはならない一線を前に、最後の一人になっても自分を守れる、大切にできる子どもの心の中には、「怒られるのが怖いからやらない」のではなく、「この人だけは悲しませたくない」、「裏切れない」という存在がいることや、何より「自分は愛されている。大切な存在だ」という自己肯定感(自尊心)という「大切なお守り」があるのです。そして、このお守り(自尊心)は、お父さん、お母さん、周りの大人達から育まれるものです。

 では、自尊心はどのように育まれるのでしょうか。子ども達が教えてくれました。特別なことではありません。

 〇聴く(共感) = 話をちゃんと聴いて欲しい
 〇叱る(教える) = 悪いことは悪いと真剣に叱ってほしい
 〇褒める = 褒め言葉よりお母さん、お父さんの笑顔が見たい
 〇伝える = 「生まれてきてくれてありがとう」 
 
 わが子への愛情は伝えなければ伝わりませんよ。

第2回 非行(不幸)少年と愛情の水やり

平成27年4月15日

 私が出会った非行少年の中に、特に忘れられない少年がいます。

 当時18歳だった少年は強姦罪で逮捕され、少年院に送致されました。彼の犯した罪は重大で、行為は決して許されるものではありません。ただ、少年を凶悪犯罪へと駆り立てた背景には、余りにも不幸な境遇がありました。

 彼は、この世に誕生する前から、DV夫の子として母親に憎まれ、誕生後は酷い虐待を受けて育ちました。ある時、少年院から届いた彼の手紙に「半分でいいから、母親に愛されたい」(母親は父親を憎んでいるが、自分の中には母親の血も半分流れているから)と、母親の愛情を求める思いが切々と綴られていました。

 どの子も最初から非行少年だったわけではありません。虐待や劣悪な家庭環境、そして多くは愛情の掛け違い等、不幸な問題を背負った子ども達が、非行少年ではなく、不幸少年になるのです

 大切な子ども達を不幸少年にしないために是非注意して頂きたいことが「愛情の水やり」です。私は親達に子どもへの愛情の掛け方を「植物の水やり」に例えて伝えます。植物に水を与えなければ、根っこは乾いて枯れてしまいます。また、反対に水や肥料を与えすぎると根腐れして、やはり枯れます。子育ての愛情の水やりについて、虐待や放任など、子どもに愛情を注がなければ心は乾き、また、過干渉や過保護、親の価値観の押し付けは心の根腐れを起こし、どちらも心の根っこは傷みます。子どもの心身の健やかな成長には、親や大人達の適切な愛情の水やりがとても大事なのです。

第1回 問題行動の根っことは

平成27年3月12日

 私はよく、本来「普通の子ども」 いえ、むしろ素直でやさしい子どもだったわが子の、全く予期せぬ「まさか」の非行や問題行動に戸惑い、苦悩する親たちから、「一体なぜ?」と、問われることがあります。

 この問いに対して、私が担当した子ども達との関わりから確信していることは、

問題を起こす子どもは、必ず問題(家庭環境・親子関係・被害体験等)
を抱えている子どもである。

ということです。

 私が見てきた「問題行動の根っこ」とは、子どもが誕生し、現在までの成長過程において、出すべき時に出すべき人に出せないまま、ずっと一人で抱え込んでしまった「不安や寂しさ」「怒りや悲しみ」でした。
特に非行少年は「自分の居場所がない」「自分はだめな人間だ」と孤独と自己否定で自尊感情が欠落し、心が傷んでいます。

 それはなぜでしょう。

 私たち親は、子育ての中で我が子から発せられている心のSOSに気づいているでしょうか。そして、サインを受け止め、きちんと応えているでしょうか。子どもが寂しさを訴えても、「甘えるな、我慢しろ」また、不安を訴えているのに親への「不満」として受け取り「わがままだ」「反抗ばかりする」と、心のSOSをはねつけます。すると、子どもは親に対して不安や寂しさをだせなくなり、心の中に抱え込んでいきます。この出口のない負の感情が自尊心を傷つけ「悲しみや怒り」へと姿を変えて、ある時期にさまざまな問題行動として表出しているように思います。

 「問題行動の根っこ」への親たちの理解が、問題行動の予防、または解決への一歩なのです。