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?「歌の月 詩の月 皐月 生まれ月 子の摘むシロツメクサを受け取る」

2006年05月10日

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はじめまして。
今月の子育てコラムを担当させていただきます松井央利子(まついよりこ)と申します。
自称:「しがない歌詠み」のさんじゅうン歳。
自作の短歌を織り交ぜながら、つれづれなるままにあれやこれやを綴りたいと思っています。
前回までのほのぼの家族系なお話とはちょっとちがって、現在の我が家の家族構成上、
いささかトーンダウンするかもですが、1ヶ月間おつきあいのほどよろしくお願いいたします。
家族の話はまた後ほどすることにいたしまして…

今回「歌人」というカタガキで登場させていただきましたが、先ほども申し上げたようにワタクシ、
実は「しがない歌詠み」であります。なぜならば私の中の「歌人」の定義は

? 歌集を1冊以上出している
? 短歌を作って収入を得ている
? 多作である

人のことなのですから。
いずれにも該当しないままに「歌人」と名乗るのは非常に僭越なのですが
今回は「歌」(を詠む)「人」ということで大目に見ていただき、
ホンモノの歌人の皆様、どうぞお許し下さいませ。
こむずかしい話はこのくらいにして…

さて、「短歌」というと、ろくさんさんで12年間の間に何度かは目にしたことがあるかと思います。
与謝野晶子だとか斉藤茂吉などの大御所の短歌を鑑賞した後に、実際作ってみましょうと
五・七・五・七・七と指を折りながらそれらしいものを作った、という記憶のある方も多いのではないでしょうか。
私もそうでした。私は勉強の好きな子どもではありませんでした。唯一好きな科目が国語と図工(後の美術)だったのでそれほど苦痛ではありませんでしたが、やっぱり何度も指を折り、考えに考えた挙句にようやく提出した記憶があります。
ではなぜ30歳を過ぎても短歌を作っているのか…?

時は花の高校時代。なんだかワタクシ、綾小路きみまろになってまいりました(笑)
16歳の秋のことであります。当時私は非常にたいくつな高校生でありました。
時々(散文的な)詩や(曲につける)詞を書いたりなんかして、勉強はちっともせず、先のことも考えず、
ぼんやり過ごしておりました。そんなある日、私はふとしたことから水泳部のマネージャーになろうと考えます。
ひそかに憧れていた数学の先生が顧問だからです。不順な動機でマネージャーの見習いとして入部したものの肝心の顧問の先生は滅多にプールサイドには現れません。数学の点ではまったく自分をアピールできなかった私の計画は台無しであります。
水温を計ったり、ストップウォッチをカチカチするのも性に合わないなあ、あんまり青春ってカンジじゃないなあ、と思い始めた頃、授業中に一通のノートの切れ端がまわってきました。
女子学生特有のフクザツな折方のその手紙を開いてみると短歌らしきものが2、3書いてあります。
当時『サラダ記念日』全盛期。そこに書いてあったのはサラダ記念日の中の歌をパロディにしたものでした。
恋する少女は詩人であります。その手紙の差出人である友人もサッカー部のなんとかクンに片思い中でしたから
すかさず私もこんな歌をノートの切れ端に書いてまわしました。

息切らし遠のく青い運動着見えなくなるまで好きとつぶやく

(今読み返すとめちゃめちゃ恥ずかしい)なにげなく作った一首が友人にもウケ、
それからの私は早々に水泳部を退部し、短歌ばっかり作るようになりました。
自転車を漕いでる時も、風呂に入っている時も、もちろん(?)授業中も。
三十一音がなんとも心地好く、歌を作ることがとにかく楽しくて仕方なかった。
娘が短歌を作っているらしい、と母が察知して
「朝日新聞の歌壇に投稿してみたら?」
と勧められたのはそれからまもなくのこと。

ほし草のあたたかさに似たその腕でどうぞしばらく抱きしめていて 
(朝日歌壇1998.12.25 馬場あき子選)

はじめて投稿した作品が第一首目に載ったことですっかり調子に乗り、
私はますます短歌にのめりこんでいったのでした。

未確認飛行物体吾のもとへ飛んで来そうな眠れない夜 
(同1989.4.3 島田修二選)

午後の陽(ひ)にきらめきながら透きとおる葉脈となれ君への想い 
(同1990.6.18 佐佐木幸綱選)

歯ブラシと小さき石鹸購えばひとり暮らしをしたいと思う 
(同1990.10.21 佐佐木幸綱選)

その後、勉強会や短歌大会にも顔を出すようになり、
結局朝日歌壇は20代後半までに40首近く掲載されました。

短歌をはじめて10余年。
コンスタントに作り続けていたわけではなく、ブランクもたくさんありました。
それでも腐れ縁のように、あるいは付かず離れずの関係で
ある時は歌い続けていくことに苦しみ、傷付き、
ある時は歌を作ることで認められ、励まされることが幾度もありました。
現在も苦境に身をおきながら、三十一文字のフィルターを通した自らの思いに、
こんなことが苦しかったのかと気付かされることや
自分を見つめ返すこともしばしばです。

今思うと高校時代の母の一言はとても大きかったと思います。
歌壇に投稿しなかったら、私はただ短歌を作ることで満足してそれっきりになってたかもしれない。
母に手紙を見られるのも、机の上のものをちょっと触られるだけでも
ものすごく嫌だったのに、自分の思いが結晶されているものにも関わらず
短歌だけは母に見せてました。
かねてより親交のあるアマチュアカメラマンのKさんの写真と私の短歌をコラボレーションした2度の作品展が実現したのも、父はいい顔をしませんでしたが母の理解あってからこそでした。
母はもっとも身近な評者であり、理解者でした。
最近は短歌を見せることはほとんどないのですが、
それでも私が歌を詠んでいるか時折気にしてくれます。
実は父もこっそり気にしてくれているらしいです。

図らずしもこの先私は、娘をひとりで育てることになると思います。
この4月に4歳になった愛娘の傍らで
この子に何をしてあげられるだろうと時々考えます。 

娘が拒むまで、まるごと抱きしめること
抱きしめることがなくなっても、心に寄り添うこと
何よりも、一日もはやく独り立ちする術を身に付けさせること

そして、なにかひとつでもいいから好きなことを見つける環境を与えること。

好きなこと=熱中できること があるということは強いことだと思います。
人生を豊かにし、交友関係を広げていけるツールを持つことは
どんな財産にも勝ると思うのです。
(もちろん先立つ物¥も大事ですが)

いろんなことにチャレンジすることはその第一歩。
一度きりの人生。
親子でいろんなことにチャレンジしたいと思っています。
子は親の背を見て育つと申しますから、臆することなく、ね。

そんなわけでこのコラムも臆することなく綴っていきたいと思います。
今回はちょっと「なつかしはずかしい」青春の短歌が主になりましたが、
次回からは育児の歌、そして家族のことなどもお話したいと思っています。

(歌人 松井央利子)

(※短歌を無断で使用、引用することを禁じます。)

投稿者 Kosodate : 2006年05月10日 09:16

コメント

こんなところで短歌に出会えるとは思いませんでした。とてもゆったりした気分になれました。

私の好きなことは何だろう?と考えましたが…何だろう?一方、息子(2歳)は何をしても楽しそうで、好きなことはいっぱいあるんだろうなぁ…と。車、電車、お絵かき、絵本、公園、動物…できるだけ興味をそがずにさせてあげたいですね。

次回のコラムも楽しみにしています。歌は詠みませんが、触れるのは大好きなので。

投稿者 はる : 2006年05月10日 12:48



はる様

早速のコメントありがとうございます。
コメントがひとつもこなかったらどうしよう…とかなり緊張していましたのでとても嬉しかったです(笑)

好きなことって「なんだろう?」なままでも全然オッケーやと私は思います。その時々で変わってもいいし、探し続けてもいい。
ひとつのことを追い続けることも、たくさん持つこともそれぞれに素敵。
好きなことを通して、自分が自分であることをよかったと思えることが大切なんじゃないかなって思いま
す。
こどもが何かに夢中になってるのを見ることって親として幸せなことですね。いろんな可能性を摘まずに育てていきたいですね。

次回からも頑張ります♪

投稿者 yoriko : 2006年05月11日 03:55



すてき。すてき。なんて瑞々しい歌ばかりなんでしょう!
『午後の陽(ひ)にきらめきながら透きとおる葉脈となれ君への想い』なんて、本当に木漏れ日と爽やかな風の息づかいまで聞こえてきそうで、鳥肌が立ちました。
私の友人もしばらく子育て短歌?にハマッて、しばらく新聞に投稿していました。いつぞや、電話で新聞に載ったと教えてくれた歌は
『ランドセル 拭いて眺めて また仕舞う』(だったと思う)と言うもので、買ったばかりの箱に入った長女のランドセルを、入学式まで楽しみに待っている母親の心情を歌った内容でした。これもこれで、笑えますが、気持ちはよくわかります。
すみません。せっかくの格調高いコラムなのに…。次回も楽しみにしております♪しかし、このコラムは、毎回水準が高いですね。いろいろな方の世界観があって、素晴らしいです。σ(>_<) ますます目が離せません!

投稿者 塩豆大福 : 2006年05月11日 15:07



塩豆大福さま

格調高いだなんてとんでもないでございます〜。
短歌や俳句、川柳などの短詩型文学に親しんでくださっている方がいることは嬉しい限りです。
儚いもの(例えば桜や蛍など)を好む傾向にある日本人にとって、五・七・五のリズムってDNAに刻み込まれているからか、なじみやすいリズムなんだなあとあらためて思います。標語が五・七・五なのも心にとまりやすいからだとか…!?
お友達さんのランドセルの句、多分新聞の川柳の欄に載ったのではないかとお察しいたします。母親のあったかい視線がなんともええカンジです。
拙作の午後の陽に〜の歌を引いて下さり、このように鑑賞していただきすごく嬉しいです。私の中では5月のイメージで青春時代を象徴する一首だったりしますです。

投稿者 yoriko : 2006年05月13日 17:18



朝日歌壇に連続して選ばれるなんで、すごいの一言。私も歌集を読むのは好きで、時々日記代わりにつけてますが、質量ともに貧しい。このブログコーナー、すごいお母さんたちが多いですね。虐待など、新聞等で取り上げられるのは、子育て能力に課題のある例ばかりですが、こんな多様な優れた例も多いということ、なんか伝えたいですね。

投稿者 さつき : 2006年05月19日 11:27



子育てコラム読みました。最近、コトバが持つ力に気になっていたので、31文字の世界がきらきらしています。自分の感じてるものをコトバで切り取ること、素敵なことだなあと思います。

投稿者 めるしー : 2006年05月19日 11:28



さつき様

私は日記というものがまったく続かない人なので日記をつけていらっしゃる方は尊敬します。
妊娠日記も育児日記も書き続けることができなかっただめだめダメ子な私…(泣)
 
これまで子育てコラムに登場された皆様の水準を下げないように、ご覧下さっている皆様に楽しんでいただけるように、その?まで頑張りたいと思います。
おつきあいのほどよろしくお願いいたします。
ぺこり〜

投稿者 yoriko : 2006年05月23日 01:56



めるしー様

ご精読ありがとうございます(笑)
コトバが持つ力って確かにすごいですね。
その昔、わが国のことを「言霊の幸ふ国」といったのだそうです。確かに言葉には不思議な力が宿っている気がします。
先にも書きましたが、かなしいかな私は日記を書き続けることができないタチなので、できるだけたくさんんの瞬間を三十一文字に凝縮してとどめていけたらなあと思っています。なかなか増えないんですけどねぇ〜。これが(苦笑)

投稿者 yoriko : 2006年05月23日 02:09



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