ふくおか子育てパーク

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?「わが元にただ一度子を運び来て二度と来ることのないこうのとり」

2006年05月30日

ブログ?

現在私は夫と離れて暮らしており、平日は私の実家で、土日は自宅で、4歳のひとり娘とともに過ごしています。
夫と離れてはおりますがかろうじて「妻」です。
昨年資格を取り、今年の2月に仕事に就きました。娘もこの4月から保育園に通っています。

静けさの満ちたる朝(あした)勾玉の生命(いのち)の目覚めを全身で聞く
(2001.11.19 朝日歌壇掲載 島田修二選)

喜びが枝いっぱいに咲き揃う桜の頃に母親(はは)となります
(2002.1.21 同  佐佐木幸綱選)

降りしきる桜(はな)の洗礼受けながら吾子の一生(ひとよ)がはじまりし朝

結婚2年目で待望の子どもを授かり、妊娠、出産、初めての育児を夫も共に喜んでくれていました。
親子三人が笑ったり時々けんかしたりしながらふつうに暮らしていける日々を、
娘の成長を見守りながら夫とともに年を重ねていける未来を、なんの疑いもなく信じていました。ところが、娘が1歳になった頃から夫は家で笑わなくなり、次第に話もしなくなりました。

食卓の我らの間を行き来する会話  ではなく醤油差しのみ

日付け変わり闇持ち帰る夫ゆえ闇の湿度をその胸に持つ

それから後、想像を絶する様々なことが起こり、気付けば深い深い闇の中に私はいました。娘とともに。
私の両親、そして友人達が私を支えてくれましたが、
正気を保っていられたのは他ならぬ娘の存在だったと言っても過言ではありません。

鬱情は小さく小さく折り畳む心地好い子の目覚めのために

声たてて笑う家族とすれちがうショッピングモールの外は晩秋

風船を頭上に浮かべパパママに絡まるように歩くよその子

しばらくの間は、娘とふたりで人ごみに出ることもつらい日々でした。
もはや夫の手を借りることができずに育児をしていかなければならない不安と、やりきれない思いをかかえながらも、
だんだんと言葉を習得し成長していく娘の存在はいつしか私の唯一の拠り所となりました。

にぎやかな色彩連ねはじめての首飾りを子は作りあげたり

じゅうたんに子が蒔くボタンの種からは四つもしくは二つ芽が出る

子が砂に差せばたちまち紅葉はケーキの上の炎となりぬ

そして冬のある日

ジャケットの中にくるりと子を抱き裸木の裡(うち)の樹液を想う

一枚の葉も身に付けず、かさかさになった樹皮でも、
その幹のうちに脈々と樹液が巡っているうちは樹木として生き続ける…
そんな冬木立と自分自身を重ねたこの歌を作った頃から、私はこの子に生かされている、
なにがあってもひとりでもこの子を守っていこう…という母親としての確固たる思いが私の中に芽生えた気がします。

それまでは

子は我に抱きつき首にまとわりぬ我を海へと沈めるように

と、本当に暗いどこかへ沈められてしまうような感覚に苛まれることがありましたが、それも今は昔。
娘とふたりの時間が増えていくに連れ、私たちの間には「支え合っている」という絆が強くなったように思います。
今では人ごみもすっかり平気になり、どこにでも出掛けられるようになりました。
昨夏の終わり頃、日曜日のショッピングモールでアイスクリームを食べながら実際の会話をもとに

「寂しそうに見えないふたりでいたいよね」三歳の娘(こ)が「そうだね」と云う

という歌を作った時からなにかがふっきれたように思います。
つらかったのは「子育て」という言葉に含まれるどこか「しなくてはならない一方的なもの」というニュアンス、
それをひとりで担うことの重圧でした。
4年前、出産祝いとともに友人から「育児は育自」という言葉をもらいました。
こんなカタチで噛みしめることになるとは当時夢にも思いませんでしたが、
まさにそうだなと娘の成長と共に痛感する今日この頃です。

水の中で繋ぐ子の手のあたたかさかつて我らはひとつであった


(歌人 松井央利子)

(※短歌を無断で使用、引用することを禁じます。)

投稿者 Kosodate : 2006年05月30日 15:49

コメント

あなたのムードが わかります。
真面目できっとひとつの事をゆっくり
頑張る感じ‥。
心の変化や周りの変化に 打たれることなく
あなたのムードだけが
刻まれてるようでした。そんな感じが あなたらしい
です。


涙がこぼれそうになりました。
いろんな 子育てがあるのですね。
私も 頑張ろう!!そう思います。

投稿者 はっさく : 2006年05月30日 23:23



すてきな歌。凛とした後姿が見えます。
あなたがあなたらしくありますように、と願います。
そして私も、そうありたいです。

投稿者 和美 : 2006年05月30日 23:55



松井さんの歌にあらわれた等身大の生き方に共感しました。生きているといいことも悪いこともいろんなことがありますよね・・・。私も実感しています。苦しいとき、つらい時、悲しい時、ありのままを受け止めてくれた方が周囲にいたからこそ、今のステキな松井さんがいらっしゃるんだと感じました。娘さんは、必死に生きている母の姿を見て、多くのことを学んでいると思います。ステキなうたをありがとうございました!

投稿者 歌子 : 2006年05月31日 08:05



心にしみました(涙)!!初回からコラム読んだ後、清らかな余韻にひたっていました。すばらしい才能をお持ちでうらやましいです。感動をありがとうございました。

投稿者 青春 : 2006年06月01日 16:02



コウノトリ、二度とこないとは限りませんよ。人生は無限大、自分を大切に、でも、自分にとらわれないで、美しい歌ありがとう。

投稿者 若葉 : 2006年06月02日 13:51



はっさく様

ありがとうございます。
そうですね。いろんな子育てがありますよね。
出会える人の数はごく限られているけれども、このコラムを通して書く側、読む側、ともにいろんな子育てやいろんな人生があることを気付かせてもらいました。
同じ時代を母として、女性として生きていくために、お互い頑張りましょう!

投稿者 yoriko : 2006年06月05日 06:17



和美さま  

前から見ても横から見ても
凛とした私になり得るべく、精進します(笑)
シンプルな中にもお心のこもったコメント、
ありがとうございます。

投稿者 yoriko : 2006年06月05日 06:27



歌子さま

本当に生きているといろんなことがありますねぇ。
良いことも、悪いことも…。
でもどんなことにもなんらかの意味があって、自分に訪れるのだとか…。
そんな中でもやはり出会いとはかけがえのないものだなあと思います。
以前、「傷つけるのも人だけどそれを癒すのも人なんだよ」と励まされたことがあります。
歌子さんのコメントにはそのときと同じ温度を感じました。ありがとうございます。

投稿者 yoriko : 2006年06月05日 06:40



青春さま

初回からご覧いただきありがとうございます。
私から生まれた短歌が活字になるときは子どもを送り出すような心境です。今回、このブログでご覧いただいた短歌たちはいい旅をしているんだなぁ…と青春さんからのコメントを拝読しながらつくづく思っております。

投稿者 yoriko : 2006年06月06日 05:04



若葉さま

奥の深いコメント、ありがとうございます(笑)
時折娘に「きょうだいほしい」と言われるのですがその度に「ごめんね」としか言えない私です。心に受けたダメージも大きく、先のことをポジティブに考えることができませんでしたが、若葉さんのコメントに励まされました。この先にある光を信じて進んで行けそうです。

投稿者 yoriko : 2006年06月06日 05:30



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