第5回 メディアとの付き合い方を考える

平成18年9月3日

このように、「メディア」は私たちが悩んでいる様々な問題と関係しているように感じられます。しかし、「メディア」は私たちの生活を豊かにしてくれる面ももちろんあります。ですから、上手につきあっていくことが大切になります。

■メディア・リテラシー
「メディア・リテラシー」というのは、「メディア」の読み取り方という意味があります。ここでは、菅谷明子 「メディア・リテラシー―世界の現場から」(岩波新書 2000)がわかりやすく説明していると思いますので、紹介しておきます。

『機器の操作能力に限らず、メディアの特性や社会的な意味を理解し、メディアが送り出す情報を「構成されたもの」として建設的に「批判」するとともに、自らの考えなどをメディアを使って表現し、社会に向けて効果的にコミュニケーションをはかることでメディア社会とつきあうための総合的な能力。』

ここでメディアとは、電子情報メディアに限らず、新聞や雑誌なども含めた情報媒体全てを指しています。私たちは、これら情報媒体が発信する情報を、無批判に受け入れてしまう傾向があるのではないでしょうか。しかし、これらの情報は、その発信者の意図によって変質されていることも多いのです。例えば、過去においてはヒットラーの演説や大本営発表がありますし、1990年の湾岸戦争の時の油まみれの水鳥の画像も情報をアメリカ合衆国政府の都合の良いように歪曲して世界に再発信したことが明らかになっています。また、アメリカ合衆国の大統領選挙では広告代理店が選挙に深く関わっていることは広く知られていることですし、2005年に行われた衆議院議員選挙でもその手腕を発揮し、スーツの色から、ジェスチャー、背景の色まで検討されて、発信されていました。
このように、メディアの出す様々な情報を無批判に受け入れてしまうと、メディアに踊らされることになりかねません。そこで、「建設的な批判(critical thinking)」が出来ることが求められています。そのためには、私たちが「主体者」として積極的に関わることが必要です。

■インターネットへの接続はおとなが責任を持つ
インターネットでは、様々な情報が、匿名の状態で発信されています。ですから、表現の自由ではすまされないような、性的なもの、グロテスクなもの、ブラックユーモアが容易に手に入る状態にあります。
この点に関し、おとなは、その人のもつ価値観の基でそれらの情報に接していますから、その嗜好に対し異論を唱えるつもりはありません。事実、アダルトビデオの普及によって性犯罪が減少しているともいわれていますし、社会的に認められないような欲求を社会的に認められるように解消するうえで、何らかの役割を果たしていると考えられなくはありません。

■子どもの価値観、判断力は未熟です。
男子中学生が同級生の女の子たちを叩くので、スクールカウンセラーが対応したところ、アダルトビデオでの表現から女性は叩かれると喜ぶものだと思っていたという事例を聞いたことがあります。また、幼児期の女の子が、他の女の子の足の親指をくわえたりなめたりしながら、「もういいの」といっていたので調べてみたところ、家庭でアダルトビデオが流されていたということもありました。
価値観や判断力が定まっていない子どもたちが、容易に性的なものやグロテスクなもの、ブラックユーモアに接することは危険です。このことをきちんと理解した上で、子どもの判断力を見極めながらインターネットとふれさせることが大切であると考えています。

 

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