~コミュニケーション~ 第5回 学習された無力感

平成21年9月3日

 私が通っていた中学校の標語に「無駄なく、無理なく、むらなく」というものがありました。通称「三むの法則」と言って「三む」をなくそうと努力していたように記憶しています。当時中学生であった私は、無理をしすぎたり、無駄が多いと、やろうとしていたことが続かないものですから、なるほど何でも毎日少しずつやっていけば良いものだと思ったものです。

 子どもたちの行動は「無駄」があり、すぐに「無理」をして、やる時とやらない時の「むら」ばかりで、なかなか結果が出ません。ですから、さっきのような標語ができたのでしょう。大人からみると子どもの行動は非効率的で、時間がかかるので、側で見守ることが我慢できないことも多々あります。そのため、つい口を出し、手助けをしてしまいがちです。これが行き過ぎると手助けにならないようです。それは結果ばかりを気にしすぎて経過を無視しているという理由ありますし、「無駄」の中にいろいろな経験が含まれているから重要だという理由もあります。そして他にも理由があります。

 さて、心理学の知見に「学習された無力感」というものがあります。これは、何度も失敗経験をすると、やってみる前に「どうせやってもダメだ」と感じて、やる前にあきらめてしまうというものです。この背景にある基本理論は、行動に対して罰などが与えられると行動が抑制されるのですが、罰がなくなれば、また行動は繰り返されるというものです。この理論どおりだと失敗経験の原因となった出来事がなくなると、やってみようとするものですが、そうならずにもっと強力に影響を受けて、いつまでもやってみようとしないということです。子どもたちへの手助けも上手にしないと同じことが起きます。よくコミュニケーションは発信する側と受け取る側で違った意味を持つことがあるというでしょう。大人が手助けのつもりでいても子どもにとっては違う意味を受け取っているかもしれません。子どもたちが自分はできないという意味を受け取ってしまうと、「どうせ自分でやってもダメだ」と感じて、自分のやり方でやろうとしなくなります。

 きっと「三む」をなくすのは子ども自身の手で試行錯誤しながら身につけていくものでしょう。個人的には「無駄」は、あった方がいいのかもしれない、と思っていますが。

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