~コミュニケーション~ 第4回 教えるという行為

平成21年8月5日

 ずいぶん前のことですが、インターネット上で子どものための科学相談に答えていた科学者が、「こちらの方がとても考えさせられます。」と感想を述べたものを見たことがあります。私たちは、教えるという行為について、知識の多い人が少ない人に知識を与えるだけと考えがちですが、そうでもないようです。これと同じような感想は、子どもたちの親からもよく聞くことです。

 教えるという行為の場合、教わっている人へは、主に知識が伝えられるようです。では、教えている側は何がかわるのでしょうか。どうも教えるという行為をとおして、自分の持っている知識の構造が再構成されることが多いようです。子どもたちに教えようとする時に私たち大人は、どういったら子どもたちが理解できるかを考えて、理解しやすいように言い方や例を工夫します。このように、教えてみると自分の考えがあいまいだった部分が明らかになったりします。また、思い違いをしているところが明らかになるかもしれません。実は人に何かを教えるということは自分の知識を整理し、構築し直すのにとても良い手段なのです。

 この教えるということは子ども同士でも是非やってほしいことです。でも時折、子どもたちの会話の中に、「教えてあげると損する。」という不思議な言葉を聞きます。時間をとられるから損をするのでしょうか?それとも教えたら自分だけが知っていることではなくなるから、優越感がなくなるということでしょうか?もし教えることが自分の理解を深めるために本当はとても役に立つ手段であることを、周りの大人が知っていて、それを推奨したら、きっと子どもたちはもっと教え合う環境を作り出すだろうと思います。もちろん、教えることは難しいことですから、大人がいろいろ工夫するように子どももいろいろ工夫しないといけません。大人はその努力を手助けしてあげないといけないでしょう。また、教えている子どもが途中でどうしていいかわからなくなったり、いらいらしだした時には、手助けだけでなく代わってあげることも視野に入れておくとよいようです。

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