ふくおか子育てパーク

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2008年04月30日

第5話「自分自身と向き合う」

oniwa'.jpg夜勤の仕事と昼間も何かと自分や息子たちの用事で出ている私。
よく質問されるのが「ねぇドタバタさんって寝てるの??」と真面目に聞かれます。

寝てますよ…そりゃ寝ないとモチマセンわ…寝るの大好きですよ〜

そんな私ですが…中学生の頃一時期「不眠」で悩みました。
原因の一つは「寝る前になると色々考えてしまうこと」
色々と言っても思春期らしい(?)内面の葛藤とかでなく…

「地球の周りは宇宙があって…宇宙の終わりってどこだ?」とか…

「タマゴとニワトリ…どっちが先?」とか…

「今は今日だけど明日はいつくるの?」とか…

自分自身でもなんでかわかりません……
私のこの思考回路、次男にしっかり引き継がれて、血の繋がりを感じる今日この頃です。

まぁ…そんな変わり者の娘でも、ほとんど寝ずにフラフラ学校に行けば当然、親は心配します。

全く寝れない日と明け方うつらうつらする日と、一週間寝ているか起きてるかわからない状況で母親が「病院行こう!」と言いました。
抵抗する気力も体力もなく診察を受けました。
医師の問診や血圧などの測定を受け…

「朝、早く起きなさい4時とか5時とか…そしたら疲れて眠れる日がくる!」と薬も何もなくアドバイスだけ受けて帰宅…(母親は不満、私は不満を感じる気力すら無し)

翌日から4時に起床です。私の母親は夜型の人で「朝早いなら徹夜するわよ。起きれないもん」と言う人…
私を4時に起こして自分は「オヤスミ〜」(母の健康によくないんじゃない?)
初日はフラフラです。
授業を居眠りせずに受けるのに必死…(その頃は真面目でした〜今なら爆睡かな)
数日過ぎたら急に普通に寝れるようになりました。
ちょっと変わった経験でした。
早く寝るために早く起きる。なかなかオススメな方法です。

話し変わって、私…片付けたりする行為が全般的に苦手です…
母親としては勉強していかないといけない部分です。自分が苦手だから息子たちにうまく伝えられない(苦)
それ故、息子たちは持ち物の管理が苦手です。忘れ物も多い(泣)

こどもが小さい頃は余裕がなく、「開かずの間」ガラクタ置場が一部屋ありました…(今は開かずの引き出し程度になりました)
当然「あれどこだ?」「これどこだ?」と数日に一度大騒ぎ…

毎年元旦に「今年は部屋を綺麗にします!!」と決心して…
年末の大掃除にギブアップ…大晦日に「あぁぁぁ〜」と毎年毎年嘆くパターン…
年末に大掃除をしなきゃと騒いでたら、周りの人が囁きます…
「大掃除は、年末でなく家庭訪問前♪主婦の常識よ☆」(納得してしまう)
四月になると慌ただしく見た目だけ片付ける私…
そしてまた開かずの引き出しと開かずの段ボールや紙袋が増えていく…

頭の中もこんなにぐちゃぐちゃかなぁ…とふと考えてみたりして。
部屋が片付いてる人、心の底から尊敬します!
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

人って人生の中で自分自身と向き合う事が何度もあると思うけど、私もいままさにその状況です。
ちょうど新しい事を始めたり、環境が変わったり…考える事が多いこの頃です。
自分自身の好きなとこを10個あげるより、嫌いなとこを10個あげるのが早い私…
自己評価が低いんですね…言っちゃいけない「どうせ私なんて…」
人のいいところは沢山見つけるのに自分のいいところが見つからない…
結婚してからウジウジ悩む事もあり、夫に随分叱られました。
私が私を否定したら、選んだ自分(夫)の価値観を否定される気がするから言うなと言われました。
彼は、身内以外で初めて私の嫌な部分と向き合い認めてくれた人…そして息子たちはそんな母親を「大好きぃ〜」と認めてくれる存在。有り難い存在です。

この四月にボランティア団体の三年間の代表を無事(?)終わりました。
素晴らしいバランス感覚のフレッシュなMちゃんに代表を交代して、私は事務局へ…。
交代のあとにメンバーから心のこもったメッセージアルバムをいただき感無量でした。
温かいメッセージに励まされます。
これからも落ち込んだり、息切れしたりするときは元気を貰う為に開きたい宝物です。
自分自身を好きになる為にこうして「周りの人のフィルターを通した素敵な自分」を見る事も大切かな?と考えたりして。

今回、四月のコラムを担当させていただき、言いたい放題で色々と振り返ってみることが出来ました。

コラムを読んで下さった方々、「コラム見たよ〜」と言って下さった方々、コメントを下さった方…ありがとうございます。
「なんで後ろ向きなん〜!!」とぶつぶつ言いながら写真を撮らせてくれ、コラムのネタを提供?してくれた家族、あなたたちのお陰で元気になれます。
そして私が「原稿」を送る度に、褒めてくださったり自信をつけてくださった管理人Nさん!本当にありがとうございました。
文章が苦手でまとめきれず、長文になってしまいました。
初めての経験でドキドキの連続でしたが、いい記念が出来たと夫も喜んでくれています。

寒さが少しずつ遠退き、風が心地よい季節になりました。
爽やかな風とともに、五月の担当の方にバトンタッチします〜♪
本当にありがとうございました♪

(ドタバタかあちゃん)

投稿者 Kosodate : 11:15 | コメント (2)

2008年04月26日

第4話「親の想い、子の想い」

itutubadesu.jpgどうも、ドタバタかあちゃんです。学校も幼稚園も落ち着いてきてホッと一息…

今回はこどもの習い事などについて、我が家のお話をしたいと思います。

子育てしてると時々(…というか結構な頻度で)
「違うよーそうじゃないんだヨォーお母ちゃんはこうして欲しいと思ってんだよぉ」
…となることありませんか?
自分自身がそうだったように、私の息子たちも当然見事に親の「理想」を裏切ります(笑)

長男は一年生秋からミニバスケチームに所属しておりますが、技術的な延び幅が低いというか…成長がゆっくりというか…

身長は四年生にしては割と高い方でそれを生かしたらいいんじゃないか…と思うけど…
週三回休まず通うだけでも本当は褒めて励ましてやるべきだろうけど…

なんというか…

少し出来てくると親の「欲」がメキメキ出てくるわけです。

休まず行く→練習を真面目にする→自宅でも練習する→試合で活躍する(親がうっとり…)…のような図式ですね…
親の理想と希望ですね…
(完全な自己満足?)

彼は「練習を真面目にする」で止まってます。
いや、それすら遊びの延長のギリギリの崖っぷちな感じです。

選抜チームでもない普通〜のミニバスケだから、それでもよいのだろうけど「やるからには勝って欲しい!強くなって欲しい!」とついつい親の方の欲が出てくる。

休みの日にちょっと自宅で練習したら上手になるのになぁ…と思うけど、お友達とするサッカーや野球に夢中…(本当はそれが幸せですね)

クラブの保護者が長男に「もう少し練習したら上手になるよ」などと言ってくれたりするんですが、なかなか腰が重い感じでして。

試合中になると親の方が「ミスするなぁ〜シュート入れてくれぇぇ」と応援しながらドッキドキ…手が汗でびっしょり。

本人はニコニコで競争心や向上心にあまり縁がないタイプ。
夫も私もバスケ経験者である為に余計に「出来ない部分」が目立ちます。

他のスポーツもそうですが、バスケは経験のスポーツ。
繰り返し繰り返し行い、積み重ねれば出来る技術が沢山あります。
こどもだから当たり前ですが、派手な事や楽しい事には一生懸命だけど、地味なドリブル練習やボール触りには興味がわかない様子…
残念!!って感じるのは親の私たちだけのようです。
やる気というのは「楽しい、好きだ」という気持ちを土台にして内側から込み上げてくるもの…親がいくら頑張ってはっぱかけてお尻叩いてもスポ根漫画のようにはいきません。

ちょっと離れるかもしれないけど「這えば立て立てば歩めの親心」で何か出来たら次をついつい期待して要求水準がほんの少しずつアップしているような…

「元気でいてくれたらいい」が「お友達が沢山出来たらいいなぁ」とか「勉強やスポーツが出来たらいいな」とか「挨拶をハキハキ出来たらいいな」とか色々な希望が付加されていくわけです。
大切なのは今、懸命に生きている我が子の素敵な部分を沢山さがして、親として「これだけは」と思う事だけを根気よく伝えていくことなのかな?

そんな風に夫婦で半分諦めに似たような話し合いしてる横から…
「お母さん〜友達と野球するからバットとかグローブとかボールとかお年玉で買おうかな?いくらくらいかな!!」


バスケじゃなく野球かいっ!!
…とツッコミ入れたくなる今日この頃…
週末の練習試合どうなることやら…トホホ…
親の方が必死なのが笑えます。なので、あまり考えないことにしました。

話しは変わって…

世間の大不況の波に乗った上に、息子たちは驚くほどよく食べる…我が家のエンゲル係数は上がる一方!!
「これはヤバイ!働かなくては」と早速職安へ行ったのが約二年前です…

資格も取ったし出来れば福祉関係へ…とインターネットの案内にも気をつけて、探し始めて約一ヶ月…

「をををを〜これはいい!」という求人を発見!

即お仕事紹介所に電話を入れて、夏休み中だったので暴れん坊将軍三人引き連れて相談に行きました。
時期がちょうど中途半端で募集も少なく、「すぐにでも面接を…」との有り難いお話に加え、お仕事紹介所の担当が「以前その求人のところで働いていた。子育て経験もあるし、仕事の経験もあるなら大丈夫!私からも話しておくから」とまたまた有り難い言葉☆
採用が決まり、七年ぶりにお仕事を始めました。
色々な事が「お久しぶり」の状態、バタバタと夜ご飯やお弁当を作り「いざ!」という感じで出勤します。
夜勤専門なので昼間はこどもたちと一緒に過ごせるし、ボランティアにも出れる。私が居ないことでこどもたちも少しずつ自分で出来る事が増えて、時間が限られた事で生活にもメリハリが出来ました。
私が居ない間は夫と私の親でしっかり息子たちを見てくれます。特に三男は私が居たらべったり甘えん坊だったのがいろんな事に挑戦するようになりました。

夜勤ということで「夜出るなんて、こどもがかわいそう」とたまに言われる事もあるけど、これが我が家のスタイル…

息子たちは「お母さんがお昼いてくれて、参観日に来てくれるならいい」と割り切っているし。

そんなこんなで仕事を始めて一年半は勤務中に息子たちが病気になることもなく(何故か私の休みの日に体調不良)ちょっと調子にのってた私…

先日、三男がまさかの「入院」!!!!

結局は麻疹でしたが、最初は原因が解らず、そんな状態まで気がつかなかった自分を責めて病院で泣いてしまいました。
ちょうど春休みと重なり、身内、友人の手を借りてなんとか一週間の入院で上の子たちも不自由はなく過ごせました。
もちろん仕事は交代してもらい、息子にしっかり付き添えました。

入院中に心配して何度もメールをくれた友人たちに感謝♪

最近流行りの物まねレスラーの言葉ではないですが…「元気が1番、元気があればなんでも出来る」を実感しました。
三男は入院から赤ちゃん返りをしだして、以前は仕事に行く前に泣いた事がなかったのに号泣…
次男もずっと離れていて我慢していたせいで気がつくとひっつきムシになってました。

私が気がつかなかっただけでこどもたちもだいぶん頑張ってくれてるなぁ…と感じました。

私は健康で周りにお手伝いしてくださる方も多かったので、気がつかない事が沢山あったと反省しました。
立場が変わると色々な事が見えてくるもの。
小学生の息子を持ち始めて「小学生の親の悩み」を知り、仕事をして「仕事をしているお母さんの大変さ」を知り、入院して「入院の大変さ」を知りました。

日々の色々な出来事、自分自身の立場だけでなく多面的に捉えて感じる事が大切だなぁ…と思いました。

そんなこんな考えながら、またこれからも親子で噛み合わない日々(笑)が続きそうですが…

10回に1回くらいは「親の想い」でなく「子の想い」も考えてみようかな?

(ドタバタかあちゃん)

投稿者 Kosodate : 09:30 | コメント (0)

2008年04月15日

第3話「沢山のありがとうの気持ち」

senaka.jpgどうも、息子たちの入園、入学グッズ、教材の「お名前記入」と多量のお知らせプリントに悲鳴をあげているドタバタかあちゃんです。

三男が生まれる前に、私の生活が変わるきっかけがいくつもありました。

まず一つ目…次男が一歳の頃に「生協の委員」になりました。
好奇心と託児に惹かれて…
三年くらい関わりましたが、食事や環境の事も勉強出来たし、何より人前で話をする機会が多くて後々役に立ちました。

二つ目…一緒に委員をしていた人から「今度市内のサークルやボランティア団体の代表が集まって子育てについて語るらしい、来ない?」と言われフラフラと参加したのがいまの団体の立ち上げの会議でした。

その会議が終わって帰ろうかとする頃に「我が家で夜勉強会をしてるんだけど、次回の日程はこの日なのよ来ない?」と言われ、またフラフラ引き寄せられるように参加…(笑)
いろんな人と繋がりが出来ました。

三つ目…結婚前に福祉の仕事をしていて、いずれは復職したいという思いから、「保育士」の資格が取りたいなーと考えました。

すぐには決断出来ず悩んでいたら、夜の勉強会で「保育士は学校に通ってとるならいいけど、年々難しくなってるよ。独学では厳しいよ」と保育専門の方に言われ…。
息子二人抱えた専業主婦の私に学校に通う時間やお金はなくて、半ば諦めかけていました。
勉強会後に仲間に話をしてたら、Nさんが「試験受けなよ!やろうと思った時がやり時!頑張って!」と励ましてくれて…。

単純な私は「よぉぉぉし!」と決意して、通信教育に申し込み、市販の本を買って勉強しました。
朝早く起きて勉強、時々夫や親に息子を預けて勉強。(あの頃は若かった…)何度も挫折(サボり?)をしながら…試験を受けました。
一年目、試験のお昼休み中にお弁当を食べてたら、急に気分が悪くなり「緊張してるのかなー」と思ってたら…三男を宿していて「つわり」だったことが判明。

三人目が欲しいとは思っていたけど…予想外の忙しさ…。
ハードな毎日の中、おにいちゃんと夫の立ち会いの元でいざ出産!!

長男は陣痛に苦しむ私に「まだ生まれないの?まだ?」と数分おきにきて確認。
私から「お母さんはニワトリさんではありませんから、そんなにすぐに生まれません」と言われ…(それでも来る)

次男は夫に抱かれて半分寝てるし…(寝たふり)

私自身も、目の前にある時計を見て「やはり規則的に痛みがくるんだ!すごい」と痛みでちょっと現実逃避気味…
感動の立ち会い出産シーンではなかったですね…

そんな状況で無事に三男を出産しました。

長男は五歳下の弟にメロメロ「可愛い〜可愛い〜抱っこする♪」の連発…

穏やかでないのはは次男…
絶対に赤ちゃんを視界に入れない!
おばあちゃんから「ほら赤ちゃんよ〜」と言われても、私にしがみつき無視。
「そんな人はいません!うちで1番小さくて可愛いのは僕ですっ!!」というオーラ(気迫?)を漂わせてました。

そこで夫と話して「彼が受け入れるまで待つ」ことにしました。

「お見舞いに来たら、赤ちゃんは泣いても何してもお母さん以外が抱く。次男はお母さんがしっかり抱いて遊ぶ…」という取り決めをしました。

三日目に次男が急に「赤ちゃん…」とポツリと言い出し、思わず「お兄ちゃんになったね」と言いそうになったけど皆でガマンガマン…

四日目に私から離れて、自分から近づいて…
「抱っこ…したい…」

弟の名前を呼んで初めて受け入れて「お兄ちゃん」のスタートをきりました。(入院中は無理だろうと思っていたから、予想外に早くて皆でびっくり)

その三男が六ヶ月くらいの頃、ボランティア団体の代表交代の話になり…
考えもしなかった私に代表の話が……(ひぇぇぇ〜汗)

「寝耳に水」とはこのことですね…びっくりでした。
私のこどもが小さい事もあり、メンバーで何度も何度も話し合いました。

最終的に、微力ですが代表を三年間つとめさせていただくことになりました。

最初の頃は「私に務まるだろうか?もっと適任者がいるはずだけど?これからどうしたらいいのか?家庭は?こどもは?」と不安と責任感で押し潰されそうになり、眠れない日が続きました。
そんな時に、今や私とのお笑いコンビ(お笑いはしてないんですよ〜ただ私たちの会話がちょいと変わってるらしいですが…)と言われているTちゃんが「一緒に頑張ろう!一人じゃないよ!」と言ってくれて嬉しくて涙が出そうになった事は、昨日の事のように鮮明に覚えています。
彼女は言葉通り相談にのってくれたり、一緒に色々なところに出かけてくれたり……(ありがとうね〜)

巡り会わせがよかったのか、私を勉強会に誘ってくれたNさんも産休育児休で心強い存在だったし、地域で頑張っていたYさんも、こどもが幼稚園に入り中心的に活動に関わり…

行政の中に理解者がいて沢山アドバイスをいただいたり…
他にも沢山沢山書き切れないくらい「ラッキー」がありました。
そして、代表になって一年目に教科と実技にギリギリ合格して保育士取得(三年がかりで(笑))。
高校や短大の合格発表より嬉しかったです。

試験勉強に協力してくれた家族、会うたびに励ましてくれた友人たち…
勉強は本当に大変だったけど、支えられて助けられてきたなぁと感謝の気持ちでいっぱいで、たくさんの人に「合格しました。ありがとう」の連絡をしました。

試験を受けるか悩んでいた時に「やろうと思った時がやり時!頑張って!」と背中を押してくれたNさんにメール「ありがとう!!貴方のあの一言が始まりでした。感謝します。」
Nさん「えーと…私そんな事言ったかな…とにかくおめでとう!!よかったよかった!」って…すっかり忘れてるし!!!
(やっぱりオチがつくんだよね……)

思い返すと沢山のありがとうの気持ちで温かい気持ちになります。
私もいつかこんな風に沢山の温かい気持ちを送れる人になりたい。
ありがとうの輪を広げていきたい。

息子たちにも伝えたい私の気持ちです♪

次回はこどもの習い事と私のお仕事について…

(ドタバタかあちゃん)

投稿者 Kosodate : 17:06 | コメント (2)

2008年04月09日

第2話「心の中に嵐吹き荒れる?」

第二子妊娠…そして出産、一人の時とは違う悩みが出てきそうな予感が。

子育てって「経験と学習からくるもの」だと思うんです。
だからやはり自分が育てられたスタイルで無意識に育てようとする。
でも、自分のこどもだから自分のこども時代と全く性格が同じかと言ってもそうではなく、時代背景や環境や…とにかく同じようにしてうまくいくかというとそうでない事も沢山あり…

試行錯誤しながら、特に第一子にはこれはどうだ?こうはどうだ?と脳みそフル回転させて接していたような…
下の子に対してはやはり経験という余裕があるので手抜きも増えたりしてくるけど……
我が家では夫婦で「自分が育てあげてもらった上で、されて嫌だった事言われて嫌な事はしない。逆に嬉しかった事をしていこう」と決めました。
うまくいかなくて息子たちに嫌な事を言って、傷つけたりすることも沢山あるけど…

次男出産前に長男が赤ちゃん返りして、私は、助産院で先生に相談しました。
先生からは「あのね、今この子の心の中に嵐が吹き荒れてるのよ、今までお母ちゃん独り占めだったのが得体の知れない赤ちゃんにとられるんだからね。それをしっかり受け止めてあげてね」とアドバイスをもらいました。
生まれて直後は院長から「兄弟の上手な育て方はね、もし赤ちゃんが泣いても、赤ちゃんのところに飛んで行かない、まず上のこどもを抱きしめたり構ったりすること。
赤ちゃんは少しくらいなら待てるからね。
お兄ちゃんに充分構ってから赤ちゃんのお世話をする。
そしたら…そのうちお兄ちゃんがママ、赤ちゃん泣いてるよとか言い出すから充分に愛情注いでね。それから、その段階を越えたらお兄ちゃんに赤ちゃんのお世話を手伝ってもらうこと、オムツをとってもらうとか簡単な事でいいから」

なるほど……

ドタバタで忘れん坊の私ですが、根は真面目(自称)言われた通にやってみました!!!

次男が泣き出したら長男を抱きしめたりして…
そのうち本当に「ママ、赤ちゃんがオッパイって」とたどたどしい言葉で私に伝え始めたり、張り切ってオムツを持って来てくれたり…
その瞬間は感激でした。

先輩の教えというのは本当に有り難いものですね。

他に先輩から教えてもらったのが「こどものおもちゃの取り合いについて」
ついつい間に入って「貸してあげなよ」とか「いつでも遊べるやろ」と自分のこどもに言ってしまったり…
こどもたちより親が落ち着かなかったり(笑)

先輩ママが一言「おもちゃの取り合いってさー大人にとってはどうでもいい争いだけど、こどもにとっては生きるか死ぬかくらいの深刻な問題なんよね〜本人たちは真剣よ」
そうか…そんな真剣勝負に邪魔が入るのは不快であろう…なるべく(怪我にならないくらいに)見守ろう〜と思ってたら、自分たちで解決策を見つけたり譲り合ったり…すごいなぁと思いました。

色々な事を乗り越えて、
親子で泣き笑いしてきたけど、とりあえず我が家は一区切りです…

長男四年生、新一年生の次男の手を引き「いってきま〜す」が始まりました。

ランドセルをガチャガチャいわせながら元気一杯出ていく姿に密に感動する母でした。

次は三男(ハミダシ王子)出産のお話について…

(ドタバタかあちゃん)

投稿者 Kosodate : 18:24 | コメント (2)

2008年04月01日

第1話「流れ流れて……この地に来ました」

ohana.JPGこてつパパさんコラム楽しかったですー♪ お疲れ様でした!

初めまして!四月の子育てコラムの担当をします。ドタバタかあちゃんです。
何故にこのペンネームか…ワタクシ、慌てん坊の忘れん坊…その上最近は立派なお肉もついてきて…
「ドタバタな毎日」を送っております…
四月は色々な始まりの時期ですね。私も三男が幼稚園入園するので、10年ぶりの身軽な生活が♪
そんなこんなで生活が変わるこの時期に、コラムの話しをいただき…文章は下手ですが自分を振り返りつつお話し出来たらと思います。

家族は夫と9歳6歳4歳の三人の息子との五人家族です。
年女です。(ちゅ〜)
20代の頃は「30歳越したら大人の落ち着いたしっとりした女性になるのかしら」と思ってましたが、全くその様子もなくドタバタした日々を送っております(泣)

さて…タイトルの「流れ流れて…」とは?
こども時代父親が公務員で転勤族でした。
福岡県内各所、広島、沖縄、東京…大体三年から五年で転勤でした。
流れ流れて…色々な所にお友達が出来ましたが、いわゆる「幼なじみ」という友人が少なく、地元、地域という言葉に縁が薄い状況でした。

短大を卒業して就職が決まり、一人暮しが始まりました。
そして夫と出会い家庭を築くことになり…妊婦になって知り合いもなく完璧に引きこもりでした。

楽しみは月に一度の某育児雑誌の発売日…早朝から近くのコンビニに出かけて購入し(紐とくところに立っていたことも…怪しいわ…)自分と同じ妊娠週数の人と体重比較したり、お腹周り比較したり…隅から隅まで読んでも一日で読めてしまう。暇だ〜暇すぎる…

(皆さんは妊娠中は何をしてたんでしょうか??特に第一子、私の周りでは「毎日買い物に用も無いのに行ってた」とか、今のようにインターネットが一般的でない頃だったから…)

そんな暇な妊婦だったのですが、事件もありました。
四ヶ月の頃つわりが酷くなりすぎて「妊娠悪阻で入院」
入院翌日に発熱!!「髄膜炎の疑いがあります」と産婦人科から救急車で医療センターへ搬送されました。
高熱で苦しむ私に医師の言葉「検査の為に骨髄液とります、背中に注射しますので障害が残る可能性があります」
私「こどもは?」
医師「(呆れた口調で)自分の命の危険があるのにこどもどころじゃないですよ!諦めてください」

ガガーン……

医師が出て行き、家族も付き添いは出来ないからと帰され、枕に顔を押し付け声を殺して泣きました。

ひとしきり泣いた私…決心しました(?)

「ここから逃げ出してやる」

点滴を取ろうと何回か試みましたが、不審な動きがばれたのか看護士が何度も検温や声かけに来て失敗(?)
「朝逃げ出してやる」と決意、一睡も出来ないまま朝を迎えました。

朝一番で当直の医師ともう一人の若い医師が来て、診察…
「検査が決まったら理由つけてトイレに行くか?そこから逃げるか?」と逃亡計画を立てていた私…(逃げられるわけがないのに)

若い医師が「この症状、髄膜炎とは思えません…大学病院でもう一度検査しましょう」と…(え?そうなの?逃げなくてよかったわ…)

またまた救急車で大学病院へ搬送され…
血液検査、脳神経の検査…歯科検診…エトセトラ…原因がわからないまま数日が過ぎて熱が下がって、退院直前にやっと判明…

インフルエンザ!!!(10年前はあんまり流行ってなかったのかな…)
なんなんだー!!びっくり!!

あぁ、でも…あの若い医師が居なかったら、我が家の長男は誕生してなかったかも。
ありがとう!!名前わかんないけど、若い先生!!

そんなこんなで産む直前までつわりに苦しみ、妊婦雑誌の発売日を待ち、果ては育児雑誌まで買い始めた頃に陣痛…

「立ち会い出産」の夫は私の入院部屋でテレビの昼ドラを観て、生まれる10分前に白衣着せられて入室、緊迫した出産シーンにびっくり…

長男、臍の緒を首にグルグル巻いて出れなくなったらしく、医師に引っ張られ、最後は助産婦さんがお腹の上に乗ってグイグイ押されて無事に誕生♪

私の子育てがスタートしました。

長男はとにかく寝ないこどもだったので寝不足からイライラが募り、何度も「あぁもうっ!!やってらんないよっ!!」と叫んだり、「何で泣くんだよ〜」と夜中に親子で号泣する事も…
授乳→おむつ換え→授乳→おむつ換え………エンドレス。
昼だか夜だかわからない毎日、気になる症状があり、小児科に行くと自分の子育てを否定され泣きながら帰宅した事も…
細い細い理性の糸に必死に頼りながら生活していました。

育児相談する人は居ない、夫もまだ独身気分抜けない…孤独な妊婦は当然孤独な母親になりました。

もう何年も社会から離れているような気がする(数カ月なのに)
夫は息子を可愛がっているけど、どうやら私の気持ちはイマイチ理解出来ないらしい…と何となく悟り始めて、この私の悶々とした気持ちのやり場は??

「お友達が欲しい!!それも近くにいて何でも話せる友達!!」
切実な想いで乳幼児健診や公園に出掛けても空振りばかりで気持ちばかり焦りました。

とにかく何かきっかけを!と市報のイベントコーナーを必死で読んでいたらありました!!
「ベビースイミング教室」ちょっと高いけど週に一回ペース!これならお友達が出来るかも!
でも年齢のところに「六ヶ月児から」
その頃まだ四ヶ月だった長男を抱えて、恐る恐る行政窓口で相談すると、「首がすわっているならオッケー」のお返事が♪
即申し込み。
私の切実な想いが届いたのか、そのスイミング教室でお友達が出来て…そのお友達とまたお友達に…数カ月前までには信じられないくらい親子でお友達に恵まれました。
ちなみにスイミング教室に来てたこどもたちは殆ど一歳前後、うちの長男が三月生まれで学年は一緒だったけど…
後々「初めてあなたたち親子を見た時はびっくりした〜歩いたり走ったりするこどもに混じって、まだ首がすわったばかりのお座りも出来ないこどもがいるんだもん!!チャレンジャーよね…」と笑いながら言われました。

長男六ヶ月、まだまだ夜中の授乳も続いて寝不足だったけど、お天気の日には公園、雨の日や暑い日にはデパートの遊び場や誰かのお家…

退屈だった日々が嘘のように忙しくなりました。

でもでも…あれれ?

ふと気がつくと私たちの町って「児童館がない、公園も整備されてるところがあんまりない、遊び場が少ない〜」

今まで目先の生活に追われていたのが、長男が歩き出して世界が広がり仲間が出来て、母親の私の視野も広がってきたようでした。

でも、その頃の私は「何となく不便だけど…何していいかわからないからまぁいいか」の状態で、長男一歳半の時に第二子妊娠が判明し、またまたつわりと闘う日々が始まりました。
(つわりってキツイですよね…)

つづく

(ドタバタかあちゃん)

投稿者 Kosodate : 00:00 | コメント (4)

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