村田 育也 先生

4 一緒に考える

令和元年7月24日

 『インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?』という本があります(森 2005)。この本は、ネットとそれに関連する情報通信技術が生み出す生活環境が人に幸せをもたらすのかという視点で書かれています。この視点はとても重要ですが、ネットとそれに関連する情報通信技術が人にどう影響してどのような変化をもたらすのか、そしてその変化は人として好ましいもの(人を幸せにするもの)なのかというメディア論的な視点はさらに重要です。

 多くの人たちは、情報社会だからネットやスマホを使うのは当然だと思い込んでいます。そして、情報社会は、きっと幸せな生活をもたらしてくれると思い込んでいます。本当にそうでしょうか。「人にとって幸せとは何か」「その幸せのために、ネットやスマホはプラスなのかマイナスなのか」「効率と便利を追求する先にどんな未来があるのか」「それは、人にとって幸せな未来なのか」を親子で一緒に考えてみてください。

 ワープロソフトで漢字変換する習慣がつくと、漢字を手書きしようとしたとき、その漢字が頭に浮かばないことがあります。このように、それまで人がしてきたことを、情報処理をする人工物に任せてしまうことで、その能力を失うことを「認知的廃用性萎縮」といいます。大人でもこのようなことが起こるのですから、成長過程にある子どもにはもっと深刻な影響があると考える必要があります。読解力や思考力、対人関係やコミュニケーションの力が、著しく損なわれたり獲得できなかったりすることが考えられるからです。

 今年2月、文部科学大臣が、小中学校への携帯電話の持ち込みを原則禁止とした平成21年の通知を見直すと発言しました。この見直しに先行して、3月に大阪府教育庁がガイドラインを出しています。このガイドラインは、携帯電話を使用させないことを基本としながらも、緊急時の連絡手段として携帯電話の所持を「一部解除」したものです。緊急時に子どもと連絡をとって安心したいという保護者の要望に応えたものと言えます。

 スマホに使い慣れた保護者には、子どもにも持たせればいつでも連絡できて安心だと思えるのでしょう。しかし、子どもに持たせて安心したとしても、安全が高まるわけではありません。安全が高まっていないのに、安心することで、危険に対する備えが疎かになるのはよくあることです。本当に必要なのは、安心でしょうか。安全でしょうか。

 子どもの安全については、家庭と学校と地域が一緒に考えることが必要でしょう。そして、家庭では、保護者が子どもの健やかな成長と幸せのために、子どもが自分自身の健やかな成長と幸せのために、親子で一緒に考えることが必要不可欠です。


 森 健:『インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?』,アスペクト,2005

3 保護者が手本となる

令和元年6月21日

 これまでの話で、メディアが人に大きな影響を与えることをお伝えしました。その影響から子どもを守るために、子どもをメディアから遠ざける必要がありますが、その前に保護者はするべきことがあります。それは、保護者自身がメディアを遠ざけることです。そうすべき理由は2つあります。1つは、メディア漬けの保護者は子どもの健やかな成長の妨げになるからで、もう1つは、保護者の言動に一貫性が必要だからです。

 米国の保育園で園児を迎えに来た保護者に対して「スマホを放しなさい」との張り紙がされたことが話題になりました(2017年)。米国の小学校教員が2年生に対して、作られなければ良かった発明品について作文させたところ、21人中4人がスマホをあげ、「ママのスマホがきらい。なくなればいい」と書いています(2018年)。日本でもスマホを使い続ける母親をよく見かけます。一緒にいる子どもは母親と話もできず一緒に遊ぶこともできず、母親から声をかけられるのは叱られるときだけです。保護者がスマホ漬けになると、子どもとの正常な関わりができなくなり、子どもの健やかな成長の妨げになることが、世界中で問題になっています。これが1つめの理由です。

 保護者が一貫性のない言動をすると、子どもは敏感に察知します。それが尾を引くと、思春期に保護者をバカにするようになってしまいます。たとえば、子どもの前で平気でタバコを吸う大人が、子どもに喫煙はダメだと言っても一貫性がありません。それと同じで、スマホ漬けになっている保護者が、子どもにスマホの使い方を考えなさいと言っても一貫性がなく、全く説得力がありません。これが2つめの理由です。

 保護者は、子どもの健やかな成長のために、そして自分の言動に一貫性を持たせるために、スマホやSNSとの関わり方、距離の取り方をしっかりと考えて実行し、それを子どもに示す必要があります。保護者の言動は、常に子どもの手本となっています。

2 SNSの問題を知る

令和元年5月23日

 2017年、SNSで自殺願望を書き込んだ女性など9人が誘い出されて殺害された事件がありました。その容疑者とSNSで連絡を取り合ったことのある女性が毎日新聞(2017年11月6日)の取材を受けて、次のように語っています。
 「ツイッターに死にたい、と書くと、『いいね』がたくさん来る」「生きてるって言うよりも、死にたいって言った方がたくさん反応があった。それがうれしかった」と。これは一体どういうことでしょうか。他人からの反応がほしくて、つまり他人にかまってもらいたくて、本当は死にたくないのに「死にたい」とSNSに書き込んでいたということでしょうか。

 SNSの長時間使用と、寂しがり屋で依存心が強いという特徴には、相関があることが知られています。相関関係ですから、SNSを長時間使うと寂しがり屋になるのか、寂しがり屋がSNSにはまるのかはわかりませんが、私は両方ともあると考えています。寂しがり屋はSNSにはまりやすく、SNSを使うことで寂しがり屋であり続ける。あるいは、ますます寂しがり屋になるということです。

 心理学においても社会学においても倫理学においても、人として目指すべき成長の方向性は「自律」です。寂しがり屋で依存心が強いことは、自律とは反対を向いているので好ましいことではありません。これは、未熟な子ども(人)の特徴でもあります。つまり、SNSは、人としての好ましい成長を妨げているということができます。

 コンピュータを使っている人の脳は、広範囲に活発に働いていることが知られていますが、それは注意散漫で騒々しい脳だという指摘があります(カー 2010)。じっくりと読書しているときの脳は、このように騒々しく働いてはおらず、もっと落ち着いています。
 ですから、パソコンやスマホを長時間使用していると、注意散漫で騒々しい脳になってしまい、深い読み・深い思考ができなくなるのではないかと危惧されます。最近の大学生は読書をしないことがよく話題になりますが、読まないのではなく、読めなくなっているとの指摘もあります。
 また、他人の心理的苦痛に共感するには、深い読み・深い思考と同じ能力が必要なので、注意散漫で騒々しい脳になってしまった人は、他人の精神的な痛みを感じにくくなることも考えられます。

 最後に、仙台市が小中学生約7万人を対象にして実施した調査研究を紹介します(川島 2018、横田 2016)。文部科学省が実施した調査で、スマホの利用時間が長い子どもほど学習成績が低いというものがあります。この調査結果を見た多くの人たちは、スマホの利用時間が長いと、学習時間や睡眠時間が短くなるから、学習成績が低くなるのは当然だと考えます。しかし、仙台市の調査研究では、家庭での学習時間の長短、睡眠時間の長短で分けて集計していて、学習時間や睡眠時間が同じ子どもたちで比較しています。その結果は、どちらの場合も、スマホ(特にSNSは顕著)の利用時間が長いほど学習成績が低くなっています。
 また、年度をまたいだスマホ使用の有無と学習成績(偏差値)の関係も調べています。その結果は、使っていないか使うのを途中でやめた子どもは成績が上がっていて、使い続けているか途中から使い始めた子どもは成績が下がっています。
 これらのことから、スマホ使用(特にSNS使用)そのものが、学習成績にネガティブに作用していると考えられます。

 SNSの問題と言えば、ネットいじめ、誹謗中傷、不適切投稿、炎上、出会い系サイト、個人情報漏えい、デマ情報、有害情報、ネット詐欺などをあげて説明されることが多いのですが、私は敢えてこれらに触れませんでした。これは、前回紹介したマクルーハンによる「メディアはメッセージ」の主張に合った考え方です。SNSというメディアが伝える情報によって起きる問題よりも、メディアそのものが人に与える影響(問題)の方がはるかに大きいのです。


ニコラス・カー:『ネット・バカ』、篠儀直子訳、青土社、2010
川島隆太:『スマホが学力を破壊する』、集英社新書、2018
横田晋務:『2時間の学習効果が消える! やってはいけない脳の習慣』、青春新書、2016
 

1 メディアの影響の大きさを知る

平成31年4月26日

 まず、保護者の皆さんに知っていただきたいことは、メディアが人に与える影響は、一般的に思われているよりずっと大きいということです。
 マクルーハン(1964)は、「メディアはメッセージ」という言葉で、メディアが伝える情報よりも、メディアそのものが人に与える影響の方がはるかに大きいことを伝えました。メディア使用で起きる問題は、情報を適切に扱わないから起きるというより、メディアを使うこと自体にあると言い換えることもできます。そして、多くの人々は、メディアの影響を無自覚で従順に受け取ってしまい、メディアがなくてはならないものになってしまうといいます。まるで、いつでもスマホを使い続けて、手放せなくなった現在の人々を形容しているようです。

 人は、自分のためになることをしたがるとは限りません。薬物に依存した人は、その薬物をほしがりますし、ギャンブルに依存した人はそのギャンブルをしたがります。それと同じで、スマホやSNSなどのアプリに依存した人は、それらをなくてはならないものと感じて使い続けます。スマホやSNSなどを使い続けることは、「薬物やギャンブルのように悪いものではない」と思われるかもしれません。しかし、多くの調査研究がそうではないことを示しています。

 子をもつ大人にとって必要なことは、まず、メディア使用が人に与える影響の大きさを正しく理解すること、そして、子どもの発達に合わせて、身につけるべきメディアに対する考え方と態度について考え続けることです。

 それでは、次回から3回にわたって、具体的にお話ししていきます。

 

参考:M.マクルーハン:『メディア論―人間の拡張の諸相』,栗原裕・河本仲聖訳,みすず書房,1987 (McLuhan, M.: “Understanding Media: The Extensions of Man”, Mcgraw-Hill, 1964)