内田 美智子 先生

~子ども達の笑顔を見続けるために~第6回 子ども達の笑顔のための半歩先宣言10か条

平成20年10月5日

 子ども達の笑顔が続くために、すぐに誰にでも簡単に出来る半歩先宣言10か条

一、子どもをまず抱きしめよう
二、子どもより先に笑いかけよう・話しかけよう
三、食べること・寝ることは保障しよう
四、おはようで始まりおやすみなさいで終わる一日
五、頂きます・ご馳走様・ごめんなさい・ありがとうは家庭内だから大切です。
六、とにかく一緒に食事をしよう(食事時テレビ・携帯・パソコンの電源は切ろう)
七、食べ物・物・お金で釣らない(子どもは物が欲しいわけではない)
八、どんなに忙しくても一品は手作りしよう。出来ればお味噌汁を。
九、弁当・店屋物の時は子供の器に移し替えよう
十、幼稚園・学校行事には必ず参加しよう

 できないですか?難しいですか?子ども達は日々の暮らしの中でお煮しめがしみこむように育っていきます。日々の暮らしを大事にして欲しいと思うこの頃です。
 先日ある地区の養護教諭部会研修会に伺った折、「私達養護教諭にできる半歩先宣言10か条」があれば教えて下さいというご要望がありました。そこでない知恵を絞って考えてみました。

一、子どもより先に笑いかける
二、子どもより先に挨拶をする
三、まず認める
四、まず褒める
五、「最期まで見放さない」サインを出す
六、「でもね・・・」「後でね」を言わない
七、出来るだけ身体に触れる(肩・背中をさする、手を握る、頭をなでるなど)→時には抱きしめることもあっていい
八、横に座る
九、ながら聞きをしない
十、無駄話に付き合う

 いかがでしょうか。子ども達は誰かに見つめて欲しくて・誰かに認めて欲しくて・誰かにわかって欲しくて・誰かに愛されたくて「ここ」にいます。どうぞ全ての大人で支えてください。

 

~子ども達の笑顔を見続けるために~第5回 性教育は集団指導から個別指導へ

平成20年9月2日

 大昔、月経教育が女子のみを集めてひっそりと行われていました。その時男子は、いったい何が行われているのだろうと興味津々ではありましたが、立ち入ることの出来ない時間と場所がありました。その後いつの頃からか男女一緒にということになり、月経の話・精通の話・マスターベーションの話が男女一緒にされるようになりました。そして男女の身体の作りや働きの違いの話が一緒にされ性交の話も加わりました。本当に一緒に聞いたほうがいいのでしょうか。男女ともに隣に異性がいる空間の中で、お互いの第二次性徴を迎えた身体の仕組みや生理的な話を聞くことに耐えられない子どもはいないでしょうか。一緒に聞くメリットとデメリットを少し考えなくてはならないのかもしれません。

 小集団指導をされていらっしゃる先生の中に、男女を分けて男子には男性の先生が、女子には女性の先生がそれぞれ話をする試みをされていらっしゃる方がいます。子ども達にはとても好評だそうで、目的によっては効果もあります。(そのほうがより効果的であることもあります。)ある高校では、男子高校生に男性の泌尿器科医が、女子高校生には女性の産婦人科医が話をするという試みもされました。同姓の専門家・先輩に話を聞く、相談が出来るってとても大事で必要なことかもしれません。男女別という大枠の集団ですが、これまでのようなクラス単位や学年単位という集団より、より現実的なわけ方のひとつです。

 これまで性の被害者になりうる女子に重きを置いて行われてきた性教育を男女一緒にしようとしてきたことで、性や異性に対して嫌悪感を持った子どもがいたかもしれません(いてもおかしくありません)。「男性にも性教育を」とするなら何も一緒でなくても別々でも良いはずです。その方がより効果があることもあるようです。男女別、興味別など柔軟にしてはどうでしょうか。

~子ども達の笑顔を見続けるために~第4回 物分りのいい大人の振りはやめよう

平成20年8月1日

 煙草を吸いたいと思っていた高校生のA君は、物分りのいいお父さんに「隠れて吸うぐらいならここで吸え。但しここだけにしておけよ!」と言われ、煙草と灰皿を差し出され朝の一服をしました。そのまま煙草とライターを制服のポケットに入れ学校へ行きました。駅で友達に会い、一緒にまた一服。学校帰りにも友達と2~3服し、帰宅後もお父さんと一緒にモクモク・・・・

 一方、やはり煙草を吸いたいと思っているがとても厳しいお父さんがいるB君は、「二十歳になるまで煙草・飲酒は許さん」と言われ、一度持っているところを見つかりこっぴどく叱られました。それ以来、家で煙草を吸うことはなく、駅や近所の公園でもそこにはうるさい町内会のおいちゃんや駅員さんがいてなかなか吸う機会にめぐり会えません。やっと友達と一緒に隠れるようにして1本吸えました。おいしい煙草であったかどうかわかりませんが、A君よりはるかに少ない本数でした。

 SEXや性の問題に関しても同じ事が言えないですか?SEXを廻りの大人が容認して(容認はしていなくても黙認することも認めることになります)、子ども達が実行する機会が増えれば増えるほど、妊娠や性感染症にかかる確率は上がっていきます。それらはしなければ罹る確率は0です。当たり前のことですがそうなのです。「できればしないほうがいい・しないという選択肢もありそれは、尊重される選択肢である」というメッセージを送る大人がいたほうがいいのです。これは単なる純潔教育ではありません。家庭や地域や学校、子ども達を取り巻くすべての環境で子ども達に伝えるメッセージって大事です。

 はっきりした言葉で伝えられなくても、なんとなく日常会話の中で言わずともがな伝えられていくメッセージはしみこんでいきます。これは家庭だけでなく地域や社会全体でも大切なメッセージになります。だめなことはダメといえる大人であり続けましょう。物分りのいい振りは決して優しくはありません。

~子ども達の笑顔を見続けるために~第3回 安心して死ねますか?

平成20年7月2日

 とあるところでの講演の数日後、講演を聞かれた方からメールを頂きました。
 深夜のパソコンの前で私は涙が止まりませんでした。

 『こんにちは。私の友人は42歳で亡くなりました。子宮がんでした。
 亡くなる時、中学1年生、5年生、2年生の子供が3人いました。がん発見から亡くなるまでの2年間、おかしな言い方ですが最期まで元気でした。元気に笑顔で、子どもたち一人ひとりに「ありがとう」と声をかけて亡くなりました。
 その彼女が言った「私は子どもたちのことは少しも心配していない。しっかり子育てはしました。心配なのはお父さん(ご主人)のことだけです。」という言葉が、私の子育ての原点です。
 私にも今中学1年と小学2年生の子供がいます。「私はこの子たちを残して、彼女のように何の心配もない、と言いきって死ねるだろうか」いつも、そのことが私のなかにあります。先生のお話のように、私たちは、いつか子どもを残して死んで行く日がきます。私の父は、私が11歳の時に事故で亡くなりました。私は、朝「いってきます」と出かけて行った人がもう帰ってこないことがあるということを知っています。だから、毎日笑顔で「行ってらっしゃい」「行ってきます」という言葉だけは大事にしています。私は、子どもたちから、「お母さんのような大人になりたい」と思ってもらえるほどの親ではないかもしれませんが、子どもたちが自分の足で歩んでいくことができるように、導いていけたらと思っています。』

 私たち大人は子どもたちより先に生まれました。先に生まれたものが先に死んでゆくのが良いです。順番が逆になってはいけません。私たちのいなくなった後、子ども達は一人で生きていかなければなりません。生き抜くための知恵・知識・技術をもっているでしょうか。生きていく環境は綺麗なのでしょうか。子ども達にとって一番大切なものはなんですか?先に死に逝く大人として本当に必要な子育てをしなくてはいけない気がしています。

~子ども達の笑顔を見続けるために~第2回 一人で生きていくことができる子ども

平成20年6月4日

 子ども達の死を見たいですか?子ども達と一緒に死にたいですか?子ども達より先に死にたいですか?と問われたらなんと答えますか?

 ・・・ある「親子塾」でインストラクターに最初にかけられた言葉であると教えてくださった方がいます。大方の私たち大人の答えはたぶん、「いいえ・いいえ・はい」ではないでしょうか。私たちは子ども達より先に生まれてきました。子ども達を一人残して先に逝くことになります。言い換えれば子ども達はいずれ一人で生きていかなくてはなりません。私たちはその子ども達が「一人で生きていくことができる」ように育てなければいけません。その事を忘れていませんか?一人で生きていくことができない子どもを平気で放り出していませんか?生物としてそんな無防備なことをするのはもしかして人間だけ?・・・だけです!特に今の日本人はあまりにも無防備過ぎます。では、子ども達が一人で生きて行くためには何が必要でしょうか。

(1)健康(心と身体)
(2)よりどころ
(3)生きがい・希望・夢
(4)経済的自立
(5)家事が出来る

 十分一人歩きの出来る子どもたちも育っているなかで、このどれもが保障されていない子ども達が野に放たれています。桜咲く旅立ちの季節です。18歳の春、親元を離れて一人暮らしを始める子どもたちの中でどれくらいの子ども達が本当に一人で生きていくことができるのでしょうか。自分で自分の身体を守ることができない子、よりどころのない子、夢も生きがいも希望も持てない子、いつまでも自立できない子(する気もさせる気もない)、家事(特に食事作り)が全く出来ない子(させていない)・・・どうやって生きていくのですか?そんな子ども達を平気で放り出していませんか?やはり私たち大人がおかしいと思う。先に死にゆく大人の責任を考えたいと思う。ずっとずっと子ども達のそばにいられるわけではないのだから・・・。

~子ども達の笑顔を見続けるために~第1回 人は愛されて人間になります

平成20年5月15日

 「家には会話がなかった」「ずっと居場所がなかった」「いい子でいたかった」「ずっと一人で頑張ってきた」「愛されるために努力してきた」「愛されている実感がない」搾り出すように、でも淡々と自分のことを話す子ども達の声は大人の耳にどう響いていたのでしょう。

 パニック障害・摂食障害(拒食症と過食症)・自傷行為などの心の病気で思春期内科にかかる子ども達が「親子カンファレンス」において、主治医森崇先生(北九州津屋崎病院副院長・青春期内科)に「何か言いたいことは?」「親に言いたいこと・望むことは?」と促されて発せられた言葉の数々です。このカンファレンスに参加していつも思うことは、ここまで子ども達は自分のこと・家族のことを自分の言葉で言えるのかと驚くことと、親子での認識のずれが大きくそれが子ども達をここまでにさせたのかなあ、ということです。

 「ここに通い、自分のことを見つめ・家族のことを思い返し・病気を認識しこれからの自分を見つけていく作業をしていくことがこの子たちにはどれだけ大変で苦しい作業であったかは想像もつきませんが、この言葉に大人たちは耳を傾けてほしい。」
 こんな子ども達を見つめてきた森先生は言われます。「子ども達にとって愛されること・食べることがいかに大事であるか。思春期の子ども達が起こす問題は思春期に起こることではなく乳幼児からはじまっており、思春期にはサインを出しているだけである。」

 米国の作家レイモンド・チャンドラーは小説の中で「人は強くなければ生きていけない、やさしくなければ生きていく価値がない」といいました。あかちゃんが大好きな小児科医仁志田博司医師(東京女子医科大学母子総合医療センター所長)は「子どもにとってはやさしさがないと生きていく価値がないどころか生きていくこと自体ができない」といわれました。人は愛されて人間になります。愛されて育った子どもが人を愛することが出来ます。