ふくおか子育てパーク

« 2006年06月 | メイン | 2006年08月 »

2006年07月25日

「育児は、育自」

charlotte10-kiss.第4回
(無農薬の庭の70本ほどのバラと植物たち、沢山の虫たちの中から〜〜)

  私は結婚するまでは、マイペースで小心者で几帳面で神経質な典型的なA型体質(?)でした。
子供を妊娠したことで、そう言う感覚は吹っ飛んでしまいました(笑)
大雑把で「ま、いいっか」、「よか、よか〜〜」
がくちぐせ(^-^)

  そんな風に両極端な面を子供達がそれぞれ受け継いでしまったようです。
上の娘は、「超マイペース」
これは小学校の先生方が感心されることしきり。
人の目を気にしない堂々としたところが、周りのお友達(ハンディキャップを持った)にも向けられていて
周囲に優しい波紋を広げているようです。

  下の娘は、「超神経質」
何かで前に進めなくなると、他の事ができない・・・(-_-;A
宿題しかり、時間割の準備しかり、毎日大変でした。
感覚がとぎすまされているのもこの子で、私すらまだ自覚していない妊娠を
いち早く察知して不安定になったのはこの子でした。
お腹にいた頃の話しをし始めたのも下の娘。

  息子達はどうかと言うと、やはりそれぞれが受け継いでいました。
上の息子は、「小心者なマイペース」
自信がないことをごまかしつつ、マイペースなので褒めても乗ってこない。
でも、寂しがり。

  下の息子は、「几帳面で神経質」
おもちゃの片づけの場所、ひらがなパネルの角を合わせた片づけ、ミニカーの並び方、きっち〜〜んと
並んでいます。
それにちょっかい出すのが、上の息子。
ちょこっと触って、下の息子を怒らせて、ダ〜〜〜〜と逃げる(笑)

  子供の個性を大事に〜〜って事をよく聞きます。
親の分身ではないし、親の思惑通りに育つことなんてない。
産んでしばらくして、だんだんそれぞれの個性が見えだしてから、
こりゃ〜〜大変だぞと感じていました。
全く違うンですもの。
同じものを食べさせ、同じように話しかけ、同じように接してきたのに、こんなに違うんですよね。

  子供達をそれぞれ送り出してからは、私の子供に対するアンテナはシュルシュル〜〜と
収納されています。
頭の周波数を切り替えて、自分のしたいことや趣味に没頭する時間。

  子供が帰ってくる時間にアンテナが伸びて、ピコピコ回っています。
上の娘が以前、
「ママは背中にもおしりにも目がある・・・」
と言いました。
わたしは
「足の裏にも着いてるよ〜〜」
と言ったのですが、その時の娘達の「ギョッ!」とした顔ったら(^m^)


  子ども達の思いや願い、辛い気持ちや哀しい気持ち、嬉しいや楽しいと言う気持ち、
その時々の子ども達の気持ちを敏感にくみ取って、哀しい気持ちなら半分に
嬉しい気持ちなら何倍にもしてあげたい。
辛い気持ちを我慢する上の娘、想いがあふれる下の娘、一方通行な息子達。
私の言葉も行動もそれぞれで変えなければなりません。

  それでも私の周波数を切り替えが遅れたり、アンテナを伸ばさないこともあります。
叱らない育児なんて、とうてい出来ません。
叱ってばかりですし、怒鳴ってばかりです。
私がふてくされていることなんて、しょっちゅうあるのです(^0^;A
「もう、しら〜〜ん!!」
とブータレママになってしまいます。
そんな時、子供4人で会議があってなんだか良い子になっていたりします(笑)
1日の終わりに、猛反省するばかりです。

  子供を育てているようで、実は育ててもらっている。
育児は、自分育て・・・だなと感じます。
もっと親として、人間として、子供がついてきてくれるような自慢のママと想ってくれるような
そんな女性でいたいと思っています。

  沢山の読者の方がいらっしゃるところでコラムを書かせて頂く御縁を運んできてくれたのも、
子ども達がいるからですよね。
自分の育児を振り返る良い機会になりました。
こんな素晴らしい機会を与えて下さった皆様に感謝申し上げます。
私の拙い記事にコメントを下さった皆様、HPやブログに遊びに来て下さった皆様
本当にありがとうございました。
双子二組連れているママを見かけたら、もしかしたら私かもしれません(笑)
気軽に声をかけて下さいませ♪

(twinxtwin-mama)

投稿者 Kosodate : 17:14 | コメント (22)

2006年07月19日

「子供と一緒に、自宅介護」

taihunohi1.第3回
(庭で育てている大好きな花たちと、趣味のパッチワークの大好きな布達です♪)

  私の結婚生活と子育てを語るときに、外せない部分です。
結婚した頃、義母はすでに寝返りを自分で出来る状態ではありませんでした。
主人が15才の頃に義母は倒れ、以来家族や周りの方に助けられながら自宅で過ごしてきました。
義妹は10才の時から、そんな義母とずっと過ごしてきていたのです。

  そこに結婚した私が同居して新しい生活が始まりました。
同居した時点で、娘達が2才になっていました。
すでにオムツははずれていましたし、ほぼ自分のことは出来る状態。
私や義妹がするオムツ替えを手伝って(?)いるつもりでした(笑)

  義母は1日の大半を車いすに座って、ダイニングテーブルに着いて過ごしていました。
よだれが常に出ている状態でしたから、ハンドタオルを掛けていて、娘達がちょこちょこやってきては
「ばあちゃん、よだれがでと〜よ。」
と拭いてくれる。
義母の言葉は麻痺で分かりにくくなっていましたから、娘達が理解できる言葉は少なかったと思います。

  息子達が生まれて離乳食を食べさせている横で、食べやすいように工夫した食事でなければ食べられない義母にも食事介助していました。
毎朝幼稚園に向かう時、玄関を開ける前に義母のベッドサイドで
「行ってきま〜す」
を言ってから出かけていました。

  子ども達が成長するのと反対に、義母は車いすに座っていられる時間も減っていきました。
義母は家族みんなが見守る中、自宅のいつものベッドで息を引き取りました。
同居してそんなおばあちゃんを見てきた娘達は、なくなって冷たくなっていく義母も見ていました。

  なくなって、3年が過ぎました。
娘達は花が咲いていると、ばあちゃんに〜〜と積みながら帰ってきます。
うちは9人家族〜〜、と娘達は言います。

  介護するいろんな場面を子ども達にも自然に触れさせてきました。
義母が孫をとても喜んでいたし、そばにいると笑いが絶えない。
訪問入浴がきて、部屋で入浴しているときも肩からお湯をかけているのは子ども達(笑)
床がびしょびしょになっても、後で拭けば良いから〜〜〜と(^-^)
オムツを替えていても、義母の顔のそばで
「ばあちゃん、気持ち良い〜〜?」
とベッドの手すりから4人の顔がのぞいていました。

  家庭の中から、人生の「生」と「死」が遠く離されてしまっているなあと感じます。
娘達も私も貴重な経験をさせてもらったと思っています。

「○ちゃんは○ちゃんだよね、△ちゃんは△ちゃん。
 あなた達も双子だけれど、顔も違うよね、好きなものも違うし好きな色も違うよね。
 みんな違うよね。
 いろんな人がいるんだよ。
 いろんな人がいて、それで良いんだよ。」
という私の説明も、
何となく感覚でつかんでいるようです。
珍しい「双子二組」の兄弟姉妹として育ち、家の中で車いすで過ごすばあちゃんに触れ、
知的障害のある弟たちと育っているのですから。

  人にも自分にも優劣を付けることなく認めることが出来て、人にも自分にも優しく、人の命も自分の命も
大事だと感じて育っていって欲しいと思っています。

(twinxtwin-mama)


投稿者 Kosodate : 14:28 | コメント (8)

2006年07月14日

「子どもには本物を・・・」

zoo.jpg

  私の趣味に手作りがあります。
手や体を動かして、何かを作ることが大好きです。

  そんな私を見て育った娘達ですから、手作りは嫌いではないようです。
お誕生日のケーキも手作りをリクエストしてくれますし、一緒に作ることもあります。
飾り付けを任せたこともあります。
近頃では、自分たちの手提げバッグやビーズのアクセサリー、ぬいぐるみのスカート、マスコットなど色々作っています。
作るときにはさみや針、カッターなど危険なものももちろん扱わせます。

  息子達が大きくなってきてからは、子ども4人が台所に立つこともあります。
娘達は幼稚園の頃から、my包丁を持っていてカレーライスは作ってくれていました。
狭い台所に5人ひしめき合って、野菜の皮むきや切ったり炒めたり。
用意した材料から普通に作れば、もっと沢山のできあがり量だったはずといつも思います。
後かたづけする範囲の広いこと!床に戸棚や冷蔵庫の扉に壁・・・。
白玉団子を作ったときなんか、4人の指に着いてる分のほうが多い?なんて気もします(^-^;A
もちろんここでも包丁やピーラー(皮むき器)を扱わせます。
沸騰したお鍋も目の前です。

 怪我したことは数限りなく、血が出る事もたびたびです。
けっしてふざけていたわけでもなく、周りの人に怪我させたわけでもありません。
怪我するたびに
「痛いね。危ないね。ゆっくりゆっくりね。そしてこんなに痛いんだから、人に向けちゃいけないんだよね。」
怪我した手を私の両手でぎゅ〜〜と包みながら、何度も何度も言い聞かせてきたことです。

 怪我しないようにと扱わせないでいては、痛いことや危ないこと分からないままではないだろうかと
思うのです。

  実際息子たちと絵本や図鑑を見ていたとき、どうしても分かってくれないことがありました。
それは、
「飛行機」

  「空を飛ぶんだよ。ブ〜〜ンって。ゴ〜〜〜って!!」
おもちゃの飛行機をお土産で頂いて、息子達はそれを床で滑らせて遊んでいたんです。
車のように。

  確かにイラストや写真で見ても、あの離発着の時の音や大きさ、離陸の時のふわっと浮いて
グングン上昇していくときの迫力は見ないと分かりません。
住んでいる町の上空ではほとんど飛行機は飛ばないのです。

  ならば〜〜と、行きました、飛行場まで!!
数時間いました。
飛行場の展望室からみて、場所を変えて今度は飛び立ったばかりの飛行機の真下を見ることが出来る
道路から見て・・・。
以来息子達は飛行機を高く持ち上げて遊ぶようになりました。

  ゾウやキリン、ライオンもそうです。
何度も何度も行きました。
子ども達が自分から離れるまで、気が済むまで見ています。
電車もバスも利用して切符も自分たちで買わせて、訓練施設に通います。

  私や周りの大人は、こんな事くらい〜〜とすでに分かっている事柄ばかりです。
出来たものを買い与えたり、テレビやビデオで済ませただけでは子ども達の記憶には
特に息子達には残りません。

  正直めんどくさいです。
食事の準備も毎日8人分、ささっとやってしまいたい。
手作りも自分だけで鼻歌交じりにやりたい。
お菓子作りもそう、お出かけもそう。
パパの運転でささ〜〜と目的地まで行きたい。

  でも、子ども達はちゃんと分かっています。
お料理の時のお鍋やフライパンが熱いこと、包丁もピーラーもふざけちゃいけないこと。
ママのミシンや針山の針やはさみで遊んじゃいけないこと。
飛行機や電車が動くときの大きな音や振動。
ゾウやキリンのおしっこの迫力や猿がすばしこいこと。

 出来るだけ本物に触れる機会を作ってやりたいと思っています。
いつか、雪の降る時期に高く高く積もった雪を一緒に見る〜〜これが私の夢です(#^-^#)

( twinxtwin-mama )

投稿者 Kosodate : 21:54 | コメント (4)

2006年07月04日

「人生笑ったもん勝ち♪」

mizuasobinoasi.2006.7.第1回

 不妊治療を経ての、双子の娘達の妊娠(ごく初期に三つ子と言われたこともあった)。
その治療の副作用で、妊娠前半を病院で過ごし、後半の半分はベッド上安静でこれまた病院の住人。
早期破水で、入院先から救急車で大学病院に運ばれ、初めてのウテメリンとトイレ(排尿は管を入れたまま)も食事も寝たままの妊婦生活、一週間。

  生まれた娘達は、1600〜1700台の未熟児。
母乳製造マシーンと化し、母乳運び屋となること、2ヶ月。
早産で未熟児で生まれ後遺症の可能性があること、その検査を定期的に続けることを約束して、退院。
それからは貧血や骨の成長を促す薬を飲ませつつ、娘達との24時間べったりの手抜き育児。
布オムツを使っていたし(しかも二層式洗濯機)、離乳食も貧血改善を目指して頑張ったけれど、
いつも頭にあるのはいかに手抜きするか。

 夜泣きもなく、良く食べよく遊びよく寝てくれる娘達に、手抜き度は拍車がかかるというもの。
未熟児の検診、眼底検査など定期的な検診を繰り返して、
「順調に大きくなっていますね」
という先生の言葉に慣れかけていた。

 そのころ、
「青天の霹靂」
とは、まさしくこういう事を言うのだということが、我が身に降りかかった。
「おめでたですね〜〜」
数日具合が悪く、のたうち回っていたわたしは、総合病院の内科を受診した。
そこから、「念のため」と回された産婦人科外来での、先生のお言葉。しかも、
「双子ちゃんですね〜〜♪」
泣きながら、先生に話し、病院の公衆電話から実家に連絡し、最後に自宅で待っていた夫に電話した。

  前回と同様、つわりがひどく即入院、シロッカー手術などを経て、後半管理入院する予定だった日より
早く入院することになった。
ウテメリンの副作用と戦いつつ、37週を迎えシロッカーのひもを取ろうとするが、取れない。
結局、子宮口にくいこんでいるひもを肉ごと切り取り、翌日(子宮口の壁を)縫い直すという、荒療治?を経ても陣痛は起こらない。
絶対安静から一転、動きなさいと言われて39週で生まれた、双子の息子。
まだ排泄が確率せず、コミュニケーションも私の通訳が必要。

現在、小学校3年生の娘達8才、知的障害を含む発達遅延のある息子達5才。


 これまでの妊娠から育児まで、どの育児本にも乗っていないような事ばかりでした
授乳している息子を抱いて、娘を肩車。
この組み合わせがもう 一つ、横で待っている・・・。
一事が万事、こういう状況でした。
よくノイローゼにならずに今まで来れたよな〜〜〜とつくづく思います。

 私のこの時期のお話しをすると、どなたも涙を流して笑顔を見せて下さいます♪
大変なはずなのに、なんだかおかしいって〜〜。
「勇気をもらった〜〜」
「まだ頑張れるって思いました〜〜」
「自分の苦労なんて苦労じゃない!」

  いろいろな感想を頂きます。
私なんかより、もっと大変な方は沢山いらっしゃいます。
それでも私の話で笑って頂けるなら、いくら でも聞いて♪って感じでしょうか(^-^)
これからも試行錯誤の育児は続くのでしょうが、楽しく明るく過ごしたいと思っています。
人生笑ったもんの勝ち♪

(twinxtwin-mama)

投稿者 Kosodate : 10:20 | コメント (10)

「一番大切なのは・・・」

 梅雨になり、ずいぶんと暑くなりました。
  この週末、暑さに負けてついに買ってしまった「ソフトクリームメーカー」を使って、娘と妻と私で初めてソフトクリームを作ってみました。作り方はとても簡単で、牛乳と生クリーム、ゼラチン、砂糖を混ぜ、キンキンに冷やした容器に入れてまた混ぜるだけ。しかし、実際に混ぜて入れてみると、果たして本当に固まるのか微妙な感じ・・・。うまくいくか心配しつつ、ぐるぐると混ざるのをみんなで見守っていると、15分ほどしたらちょうどよい具合に固まったソフトクリームができました。食べてみるとまさに生クリームの味!(笑)
お店で売っているものに比べると何かが足りないようでしたが、これはこれでおいしい。娘は大喜びで「明日はチョコレート味にしようよ」とやる気満々でした。娘はデザートやご飯作りが「楽しい!」と感じてくれているようで、親としてもとても嬉しいです。

  さて、これまでいろいろと書いてきたのですが、子どもを育てる上で一番大切なことは何でしょうか。
「子どもの目線で話すこと」や「一人の人間として接すること」等、これも十人十色、きっと人によっていろいろですよね。

  私は、これまでいろいろと考えてきて、やはり親が『愛情』を持っていることが一番大切だと感じています。子どもに愛情を感じない親などいない。みんな、子どもに幸せになってほしいと思っているでしょうから、『愛情』が大切だなんて当然のことなんですけどね。

  しかし、親の我が身が一番大切で、子どものことは考えていない、と思われるような行動を見かけることがたまにあります。それでも子どもにとって親は親ですから、どんな仕打ちを受けても、泣きながらでも親についていきます。

  そういうシーンをみると考えてしまいます。かくいう私自身も、その人のことを言えるレベルではありません。仕事で悩んでいるときなど、時には子どもにひどい接し方をして、自己嫌悪に陥ったりすることもあります。そんなではいけないと思い、幸せな我が子と自分達をイメージしながら、日々自分とも格闘しているのが現状です。

  そんな『愛情』を持った上で、ではどうやったら子どもは幸せになれるのか、どういう人間に育っていけばいいのか、我が子の到達してほしい人物像を描き、それに近づけるよう日々接し、育てていく。結果は将来しかわかりませんが、そう取り組み続けることで、よりよい人間へと成長していくことができると思います。親も、子も。

  幸い、娘は笑顔が多く、5ヶ月になる息子も笑っていることが多いので、我が家は日々幸せです。これからも、ずっと笑顔でいられるよう、毎日を大切に子も親も楽しく努力していきたいと思っています。

(企業人事担当 安東政彦)

投稿者 Kosodate : 09:32 | コメント (6)

Copyright© 2005 Fukuoka Prefecture. All Right Reserved.