福永 宅司 先生

~今、子どもたちのために大人が始める事~第6回「子育てに夢とロマンを」

平成20年4月2日

 この連載中の間も、子どもたちや若者をめぐる事件は、後を絶ちませんでした。
 「人を殺してみたかった。」「だれでもよかった。」こんなコメントに憤りを感じると共に、被害にあった方のご家族の悲しみを想像すると胸が痛くなります。
 連載中何度もつづった、相手の心の痛みを想像する力があれば、どれだけの事件が防げることかと思います。「目の前のこの人を傷つければ、どうなるのか、どれだけの人が悲しむのか、また自分の人生もどうなるのか、育ててくれた親はどうなるのか。」こういうことを「想像」してほしいのです。

 「手紙」という映画があります。貧しい兄弟の話です。お兄さんは、弟を大学にやりたいその一心で宅配業の仕事を必死でやっていました。ところが腰を悪くし、弟の学資が稼げなくなります。
 思いあまって、盗みに入ります。そこで、家主の老女ともみあい、心ならずも、殺害してしまいます。刑務所から、弟へ送る「手紙」を通してドラマは展開していきます。弟には差別が追いかけてきます。職場、恋愛、仲間・・・。それでも「手紙」を通して、兄弟は必死に生きていこうとします。子どもたちや若者に見せたい珠玉の名作です。
 私は元小学校の教師でしたから、「子どもたちの授業の教材になるなあ。」そういう視点で映画もよく見ます。「この手紙を教材にしたら、子どもたちいろいろなことを考えてくれるだろう。」と。

 映画の話も何度か述べてきました。絵本・劇、こういった文化には子育てのヒントが、感性を育ててくれる文化がたくさんあります。
 私たち、大人が伝えたい、すばらしいメッセージがあります。

 ところが、子どもたちの中には、相手を殺しても何度もリセットして生き返るゲームに何時間も興じています。縦割りで、仲間とともに夕方まで遊ぶ文化は崩壊しました。睡眠不足の生活を続けています。感性を育ててくれる文化から遠ざかっているように思えます。

 いいものを子どもたちに伝えたい。

 小学校生活は、六年間と、とても長い時間です。ランドセルばかりが目立って、小さな身体で、でも元気いっぱいで通ってた一年生から、いつしか時が流れ、どことなく青年のしぐさをただよわせて、卒業していく子どもたち。この六年間に、しっかり生活リズムを整え、仲間と支え合いながら、学力もつけて、成長して欲しいと思います。
 そのために、六回にわたって大人が始めることについて述べさせてもらいました。
 私の「子どもの学び館」には、悩める親たちの相談の電話もあります。「不登校」「発達障がいをもつ子どもたちのこと」「いじめ」「クラスが荒れて悩んでいる先生」・・・。
 みんな子どもたちの幸せを願っているのに・・・。

 そろそろまとめにはいりましょう。私たち大人が変われば、きっと子どもたちも変わってくれます。一人ががんばって百歩歩いても世の中はなかなか変わりませんが、百人が子どもたちのために一歩何かを始めたら、すごい力になります。一人の百歩より百人の一歩です。

 今の社会を作ったのは私たちで、これを変えれるのも私たちです。子どもたちの未来を明るくするためには、やっぱり子育てです。だから子育てには夢とロマンがあります。
 私もそんな百人の一人として、これからも子育て講演や一人芝居にとびまわりたいと思っています。どこかでお会いする日をたのしみにして、この連載のまとめとします。ありがとうございました。

 

~今、子どもたちのために大人が始める事~第5回「子どもは大人の言うとおりには育たない、大人のするとおりに育つ、だから大人は自分の後ろ姿を意識したい」

平成20年3月1日

 古い作品ですが、グレゴリー・ベック主演の『アラバマ物語』というアメリカ映画があります。グレゴリー・ベックといえば、『ローマの休日』では、オードりー・ヘップバーンと共演したあの名優です。
 『アラバマ物語』では、黒人差別とたたかう弁護士の役をしています。当時の南部で白人が黒人の弁護をするのはたいへんなこと。様々なバッシングの中、彼は、黒人青年の無実を主張します。裁判では、彼の無実は明らかに証明されていきますが、結果は有罪です。厳しい差別が垣間見えます。
 この作品は、幼い娘の目を通して、父親像が語られていきます。法廷の場面は、娘も参加しています。この父の姿を彼女はどんな思いで見ていたことでしょう。非攻撃的に理論的に主張を展開していく堂々とした父の姿。正義を貫こうとした父の姿。
  誇りある父がそこにいました。

 話変わって、晩年の宮沢賢治は、貧しい農民のため自分の体を省みらず、病をおして、田畑の土の研究をしていきます。
 そういう賢治を見て母親が「どうして賢さんは、自分のことより、困った人のためにつくすのかねえ。」とぽつりとつぶやくのだそうですが、横で聞いていた賢治の妹は、「何言ってるの、兄さんは母さんがしているとおりのことを、やっているんじゃないの。」と言ったそうです。
  「なるほど、この母あって、賢治ありだなあ。」と思います。

 子どもの生き方には、親をはじめ大人の姿が大きく影響をあたえます。 しかし、私たち大人は、ややもすれば子どもを変えよう変えようと力みすぎて、肝心の自己を変革することを忘れることがあります。
 だから、その戒めに、「親が変われば子どもは変わる」と言う言葉や、「育児は育自、教育は共育」なんていう的を得た言葉があります。
 先に生きると書いて「先生」と読みます。だから大人は子どもにとってだれもが「先生」です。先に生きているものとして、楽しいことも、つらいことも、自分の体験したことを未来へ生きる子どもたちへ語りつぎたいものです。
 私たちの生き方が最高の生きた教材です。平和を愛すること、差別を憎むこと、他者への思いやりを忘れないこと、いろいろと語りつぎたいものです。
 だから、子育ては夢とロマンがあります。
 自分の生き方、後ろ姿は子どもに見られていると思えばファイトがわきますね。

~今、子どもたちのために大人が始める事~第4回「自分の命の分身が『自分のことを好き』と言えるように」

平成20年2月1日

 わたしは、クラス担任の時、「自分のことを好きですか。」とよく子どもたちに聞きました。
「一つもない。」という子もいます。「そんなことあるもんか。」といつも思います。

  あなたのお子さんはどうですか。子どもは、母親が命がけで産みます。だから子どもたちは、母親の命の分身です。その子が、「自分のこと嫌い。」と思っているなら、なんとかしないといけませんね。
 自分のことを少なからず好きだと思っている子は、エネルギーがあり、自分の命も友だちの命も大切にしようとしてくれます。とても大切な感情ですね。
むずかしい言葉で「自尊感情」「自己肯定感」などと呼ばれています。
 それでは、どうしたら、こういう感情が育っていくのでしょうか。


○プラス思考の言葉かけ
 「あなたは暗いではなくてもの静か」、「落ち着きがないのではなくバイタリティーがある」「ぐずではなくていねい。」
 同じ事象でも響きが全然ちがいますね。言葉は言霊で、たましいが入ります。こういうふうに言われたら、元気がでてきます。前回も述べましたが「お母さんはあなたを産んで幸せ。」という言葉が最高の言葉の贈りものですね。

○他人と比べるのではなく自己の成長を比べる
 「前よりずいぶん良くなってきたよ。」教室でもよく耳にする言葉ですね。にこっと子どもたちはします。過去の自分と比べて、その成長を見つめさせたいですね。

○小さな達成感を味わわせたい
 「やったあ。やればできるね。」こういう体験を多く積み重ねたいものです。大人がしんぼう強く見守ってくれたら、「ある日、とつ然できた。」そんな瞬間が子どもを待っています。
 自転車に乗れた、逆上がりができた、「おれやればできるね。」と言う感情、難しい言葉で自己効力感といいます。「どうせおれはだめやん。」ではなく「おれやればできるね。」こういう場面を学校や家庭やいろいろな場面で設けたいものです。そしていっしょに喜んであげたいものです。

○地域の教育力 
 今の子どもたちの中には、親、教師、習い事の先生と、この三者の間を毎日移動している子がけっこう多いのではと思います。この三者は子どもの教育に責任があります。どうしても「このままじゃだめだぞ。」が口にでてきがちです。
 しかし、むかしは、ここに近所のかみなりおやじ、だがし屋のおばちゃん、などなどが登場し、その発する言葉が子どもたちに勇気を与えてくれました。
  「しばらく見ない内にりっぱになったね。」【当時の中学生なんかにかける言葉、これが決まり文句】「おばちゃん、あんたのこんな所がすきね。」
  いい意味の責任のなさがプラスの言葉をあたえてくれるのです。多くの大人と出会わせたい、地域の教育力復活が待たれます。

○映画「15才学校?」について
 私の一人芝居の演目に山田洋次監督の「15才学校?」があります。半年学校に行っていない主人公、自尊感情ずたずたの子が、屋久島に向かって一人旅に出る。その子が旅の途中に出会った人々、トラックの運転手、登山家のお姉さん、一人暮らしの老人が、「15才かいいねえ。」「あんたにあえて良かった。」「わたしあなたのそのにきびの顔とってもかわいいと思う。」「お前の親は見事な子育てができているなあ。」と、少年に勇気をあたえてくれるのです。少年は成長し、最後は、一人暮らしのおじいさんを粗末にする息子に、涙ながらに説教する場面があります。「なんだ自分のお父さんに臭いって、あんたも赤ちゃんのころは、おじさいさんからオムツかえてもらったんだろう。そんなこともわからないのか。」感動です。自尊感情が育った彼は、おじいさんの心の痛みが無視できなかったのです。人は人と出会って育つのですね。だから「人間」は人の間と書くのでしょう。

○最後に
 子どもにお世辞を使いなさいといっているわけではありません。しかるときは、き然としからないといけないでしょう。 そういう場面もあります。
  ただ、「一つも好きな所がない。」という子どもは、しかられてばかりいるかもしれません。私たち大人は、未来を生きる子どもたちに、勇気をあたえる存在でありたい。「こんないいところがあるぞ。」「おれは息子としてお前を誇りに思うぞ。」「やればできたね、おめでとう。」
  いっぱい伝えたい言葉がありそうです。
 その向こうに子どもたちの笑顔が見えてきます。

~今、子どもたちのために大人が始める事~第3回「子どもの時間の使い方について」

平成20年1月1日

 小学生時代、子どもたちには、いろいろな体験を積んでほしいですね。
学校から帰ってきてから、「子どもが何に時間を費やすか。」親としては意識したいところです。
 ここでは、冬休みに入っていますので、この時期を例にして、「こんな体験してほしいなあ。」と思うことをあれこれ書いていきます。


○生活リズムをくずさない
 早寝・早起き・朝食、何度も出てきましたね、長期休業でも同じです。例外をつくると、体はつらいです。学校では、長期休業後、生活リズムを立て直すのに先生方は苦労します。実は、学校五日制が始まる前は、日曜だけ子どもは休みだったのですが、それでも、子どもたちの月曜日は。調子はよくなかったですね。ハッピーマンデーと三連休が増えてくると、ますますです。まあ、例外は大みそかだけで、起きる時間、寝る時間、食事は定点通りやると、子どもはすくすくと成長します。

○読書の充実
 読書は、子どもたちの読解力・想像力を育てる、まさに頭と心の栄養です。冬休み初日、私は、市立総合図書館に本を借りに行ったのですが、親子づれをたくさん見かけました。この冬休み読むための本を借りていました。「テレビばかり見ないで。」「じゃあ何するとよ。」「本でも読んだら。」「読む本がない。」こんなやりとりが聞こえてきそうです。そうならないために、いつも、身近に本が取れる環境にしてあげたいですね。1990年代、一人の教師の提案から「朝の読書運動」が広がり、さまざまな成果をあげました。たった10分間で。静かに読書にひたるそういう時間、大切ですね。

○コミュニケーション能力について
 縦割りで遊ぶ文化の崩壊、地域の教育力の低下、など子どもたちの人との出会いやつながりの場が少なくなる中、テレビやゲームの画面ばかりのお付き合いが急増。病院では、親が横で全て病状を話し、子どもは一言も話さなくても事は進む・・・、これでいいわけないです。我が子の電話の受け答え、親せきとの会話、この冬注目してみてください。お正月は、いろいろな人との交流が多いとき、「うん」「はい」だけでは、困りますね。いいしつけの機会です。

○我が家の「食卓」の見直し
 『食卓の向こう側』【西日本新聞ブックレット】が大きな示唆を与えてくれました。
「一日三回、一年では1000回以上。食卓はすごい力を持っている。」まさにそうです。
「個食」「孤食」・・・、かつてちゃぶ台にそろって、寅さん一家は食事をしていました。
映画の話ですが、すごい力を食卓は持っていました。
この時間の見直しは大切ですね。「おせち」「春の七草」お正月から話題をつくれそうです。

○伝承遊びについて 
 お正月は、こま、たこあげ、はねつき、百人一首、伝承遊び、こと欠かないですね。
外で元気よく遊んで欲しいですね。おじいちゃん、おばあちゃんも出番ですよ。「外遊びが一番面白い。」とゲーム世代の子どもたちに体感して欲しい、冬休みはいい機会です。

○お手伝いについて
 フィリピンの「スモーキングマウンテン【ごみの山】」で十時間以上働いている五才児の話を本で読んだことがあります。大人になるまで生きることが目的で過酷です。置かれている状況は違えども、この国の子どもたちにも小さいときからの労働体験は必要だと思います。労働体験と言っても短時間のお手伝いですが、それでもやることが大切。何か一つ決めて、家庭の中で貢献感を持たせたいですね。「おかげで助かった。」なんて言われるとうれしいものです。自立に向けても欠かせないですね。

○家庭学習でしっかりまとめを 
 二学期の成績から、苦手を克服したり、いろいろと取り組めます。もう一度やると「なるほどね。」とわかることがあります。反復です。

○最後に
 今回は、冬休みを例にしましたが、日常につなげていけることばかりです。
時間は24時間、どの子にも平等に与えられます。小学生時代に、この時間をどう使うのか、何にあてていくのか、何が今大切なのか、いろいろと大人と話し合っていくことは大切だと思います。

~今、子どもたちのために大人が始める事~第2回「子どもたちの学力について」

平成19年12月3日

 「学力の二極化」「学びから逃避する子どもたち」と、子どもたちの学力について危ぐする言葉を多く耳にします。実際、塾まで通って遊びも睡眠も削っている層もあれば、テレビ・ゲーム・携帯・パソコン【四点セット】に興じて睡眠を削り、家庭学習なしの層も増えています。 かつての「よく遊び、よく学び、よく眠り、朝食をしっかり食べてくる。」一番人数の多かった層の子どもたちが、少なくなってきているようです。
 私たち親としては、「見える学力」を支える「見えない学力」を充実させること、「環境面」で子どもたちに協力できることがあると思うのです。

まずは、生活リズムです。
「早寝、早起き、朝食」これは、県民運動にもなっています。睡眠は小学生には8時間はしっかり保障したいですね。睡眠は、体と心と脳に休息と元気を与えてくれます。寝ている間に脳は、いろいろ覚えたことを整理してくれたりもするそうです。炭水化物、たんぱく質は脳を活性化させてくれるし、ほら、こう考えると、「早寝、早起き、朝食」は見えない学力を育ててくれる運動でもあるのです。私が青年教師であった時代は、「先生おはよう」と元気な声が学校にこだましていました。子どもたちの寝不足、気になります。

次に家庭学習です
 小学生のころに、「読み・書き・計算」をしっかり定着させたいですね。学力が厳しい子は、頭が悪いのではないですよ、時間がかかるのです。今日やったことをもう一度違う時間にやってみると「先生できた、なるほどこういうことか。」となり、その笑顔がたまらないものでした。かつて学校は今ほど超多忙ではなく、「放課後もう一回先生教えて」と子どものリクエストに答えられていました。時間を生み出すのに先生方も苦労しています。
 だから、家に帰ってちょっとだけでもいいのです。反復すると定着していきます。声に出して音読することもいいですね。 仕事帰りですぐ夕食づくりと慌ただしい時間でも、「ごはんつくるから、じゃあ、今日、学校で勉強した所、教科書読んで聞かせてよ。」「むすかしい勉強してるんやね。すごい。」こんなやりとりでも、子どもはうれしいんです。

要は、どう時間を使うかです
 子どもたちが子ども時代を何に時間を費やすかは親として注意したいですね。先の四点セットにばかり時間を使うのではなく、外で元気よく遊んで欲しいし、家の手伝いだって大切です。家庭学習の時間も生み出せるのです。
 テレビとゲームだけで3時間も4時間も費やすのはいい時間の使い方とは言えないですね。

次に、「子どもの学ぶ意欲を喚起する社会」について
努力をすれば・・・
 かつて、貧しくても、裸一貫の子でも、努力で自分の夢を現実にしていった姿を目にすることが多かったですね。今は、政治家も芸能人も二世三世、よく見かけます。親の学歴と経済力があればその子どもも・・・。固定化されたらいけないですね。裸一貫の子にも努力をすればチャンスはあるんだという希望社会を失ってはいけないと思っています。

フィンランドの合い言葉
 学力世界一と言われているこの国は、「一人の子も落ちこぼさない。」という教師間の合い言葉があるそうです。補講、留年、わかるまで教えるねばりがあります。学力が厳しい学校から優先して予算措置もあるそうです。学ぶべきヒントがありそうです。

最後に映画『学校』について
 何らかの事情があって義務教育を受けられなかった人が夜勉強に通ってくる「夜間中学」。
山田洋次監督のこの名作を私は一人芝居で演じています。50を過ぎて、読み・書き・計算をとりもと゜す田中邦衛さん演じるイノさん。「火気厳禁」が読めなくて危険にさらされたことも、運転免許をとるのが夢だった、「もう一度、学びたい。」とやってくる。人は、本来、学びたい、新しいことを知ることをこのうえなく喜ぶ、存在なんだと思います。

 子どもたちが「わかった。できた。おもしろい。おれなかなかじゃん。」と喜々として日々を過ごせるよう、私たち大人が始めることを考えていきたいものです。

~今、子どもたちのために大人が始める事~第1回「人の心の痛みがわかる子どもに」

平成19年10月30日

 子どもたちをめぐる悲しい事件が後を絶ちません。今、子育て真っ最中の親たちにとっては、心配事がつきません。かく言う、私も子育て真っ最中であります。

 子どもの寝顔を見て、「いい人生をおくってほしい。」そう願う毎日です。「子育てが、たのしい」と思える社会になるよう、このシリーズでは、「今、子どもたちのために大人が始める事」について書いていきます。

 冒頭のタイトルは、家庭訪問の時に、「お子さんに望むことは」という私の問いに保護者が答えられる最も多い言葉です。

  「先生、そりゃあ、勉強もできてほしいけど、人の心の痛みのわかる、やさしい子どもになって欲しい。」と言われます。人間は、人の間で育つのですから、とても大切なことです。

 では、どうしたら、人の心の痛みがわかる子に育っていくのでしょう。

 まず、想像力です。私は舞台にいす一つで一人芝居をやっていますが、何もないのに、子どもたちは、私の語りや表情で、その登場人物の心情を、その場面の情景を、想像するのです。「主人公はつらかっただろうなあ。」と涙を流してくれる子どもたちもいます。
人間にはこの想像力があるのです。他人の痛みがわかる力です。

 読書、読み聞かせも、いいですね。活字や、語りから、いろいろな場面を想像する、秋の夜長、子どもたちと親子読書いかがですか。

 外遊びも大切です。仲間と遊ぶ中で、けんかしたり、仲直りしたり、遊びを生み出したり、「秋の空は高いんだなあ、葉っぱが色づくんだなあ。」そういうことを、夕日を背にして思うのです。この外遊びの復活を切に望みます。テレビ・ゲームだけに時間を費やすようになったら、子ども時代もったいないですよね。

 次に、自己肯定感を育みたいですね。「いろいろあるけど、自分はやっぱり好き。」と自分を受け入れている子は、他人の痛みに気づきます。「元気ないけど、どうかした。」と仲間に寄り添ってくれます。

 自己肯定感は、「お母さんは、あなたを産んで幸せ。」「あなたは、暗いのじゃなくて物静かって言うのよ。」「あなたは、私たちの宝物よ。」こういう言葉かけから育ってきます。

 命がけで産んだ自分の命の分身に、そう語って下さい。こんなこと言われたら、涙が出るくらいうれしいです。自分を肯定的にとらえます。

 最後に、私たち大人自身が、人の心の痛みをわかる感性を育てていきたいですね。

  子どもは、大人の言うとおりには育ちません、大人のするように育つのですから。